ショートストーリー「博士の愛したお茶」 | 手ぶloveの「諸行無常のソナタ」

手ぶloveの「諸行無常のソナタ」

アル中地獄からの解脱と共に解き放たれた世界。
色即是空のことばたちが
縦横無尽に駆け巡る。哀愁の人間讃歌。手ぶらワールドへ
ようこそ!



「博士の愛したお茶」
作.手ぶlove

ある老人が真理を探求していた。

というよりも
むしろ、真理の探求しかしていなかった。

そして、ひとつの結論に達した。

もし仮に真理を解き明かす
数式を発見したとしても
それは頭の中の理解でしかない。

たとえ、その数式が世界は無であると
証明したところで
それが何だと言うのだろうか?

依然としてそこには、月があり、星があり、
果てしない空間が漠然と広がっている。

60年間もの長い年月を掛けて
量子力学をもとに尽きる事の無い
数字と向き合い、格闘して来た。

しかし、真理を数式化し、
真理そのものを
知るという事があり得るだろうか?





老人は煮詰まった時、
決まって仏陀の言葉を思い出した。



“愚かな者は生涯、賢者に仕えても
真理を知ることがない
さじが、汁の味を知ることが出来ないように
聡明な人は瞬きの間、賢者に仕えても
ただちに真理を知る
舌が汁の味をただちに知るように”



その言葉に老人はいつも打ちのめされた。

「馬の耳に念仏とは、よう言うたモンだ……」



そうして半ば自虐的な形で
老人が導き出した究極の答えとは


“いかなる数式も真理には到達し得ない”


という、極めて、ざっくりとしたものだった。

それが60年間の成果だ。



「元の…木阿弥つってな………」


宇宙の起源を遡れば遡る程
物理学が何の役に立つのか
老人はますます分からなくなって行った。




「母さん…茶を一杯くれんか?
なぁ、母さ……」


老人はひとり暮らしだった。

「ハッハ!…どうかしとるわい…まったく」

そう、ぼやきながら、
座椅子から重たい腰を上げた。

茶を入れにキッチンへと向かう。

それから、ガスコンロに火を点した。

と、その時である。
何処からか聞き慣れた声がした。



(ハイハイ、お茶ね、私が入れますよ、お父さん)



老人は確かに聞いたのだ。

死に別れたはずの

懐かしい妻の声を………。

老人は不思議に思い部屋を見渡した。






窓から洩れる柔らかな陽の光に包まれた

誰もいない居間に

ヤカンのたぎる音だけが

静かにこぼれて



もぬけの殻の座椅子が

コタツの傍らで

気持ちよさそうに、うたた寝をしていた。







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楽曲「An Ending」Brian Eno

  

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