ショートストーリー「アルプスの爺さん平次」③完結編 | 手ぶloveの「諸行無常のソナタ」

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アル中地獄からの解脱と共に解き放たれた世界。
色即是空のことばたちが
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「アルプスの爺さん平次」③
完結編~帰宅~

はす向かい平次の右足は
もうぐちゃぐちゃだった。

ふくらはぎの肉は平次の足から引き剥がされ
完全に千切れていた。


ヨーゼフが強靭な顎でその肉片を噛み砕いている。
まるで他人事のようだった。


「ヨーゼフ!お座り!
コラ!ヨーゼフ!お座り!」
薄れ行く意識の中
少年がしきりに叫んでいるのが聞こえる。

「もう…終わりだ。下らん人生…
上等だよ…それでいいじゃないか」

平次は全てを手放した。
自分の全人生を
そして自分自身を諦めた。

と、その時…

“なんて下らない人生なんだ"と嘆く自分が
消滅して行くのを見た。
パンクしたタイヤの中の空気のように
何処へともなく抜けて行く。

その瞬間から平次にはもう
自分が何なのか分からなくなっていた。

全てが繋がっていて
犬が自分の足を食べているのか
自分が犬なのか
はたまた肉片が自分なのか
皆目見当もつかなかった。
その一塊の命は巨大な葡萄畑であり
恐らくはアルプスのふもとまで
或いは宇宙の果てまでをも内包していた。

そこには喰うものも喰われるものもなく
ただ壮大な生命の循環だけがあった。

“何というドキュメンタリーだろう”
平次は感嘆した。

犬も
少年も
葡萄畑も
見るもの、見られるものの一切の区別がない。

「おいちゃん!からあげクンちょーだい!」
まぶたの裏に焼き付いた子供たちの笑顔が空へと還って行くのを見た。

ほくそ笑んでいたはずの課長の顔が
満面の微笑みを浮かべて労いの言葉をかけるのを見た。

今、同僚や部下たちに心から言える。
“昇進おめでとう!”と。


平次は囁いた。
「本当に…おめでとう…自分」

全てが自分だった。

平次は一切が溶け合って行くのを見たのだ。



「もう…全部…アルプスじゃねぇかハッハ!」




天を仰ぐと
ローソンの看板みたいに鮮やかな空の青が
笑っていた。





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楽曲「グロウオールドウィズミー」ジョンレノン