わたしの人生を知らない人間が、
わたしを簡単に評価できるわけがない。


見えてる部分だけ切り取って
「あの人はこういう人」
「楽そう」
「性格悪そう」
「余裕ありそう」
「なんでも上手くいってそう」
そんな数秒の印象だけで決めつけられる事って本当に多い。


でも、その“見えてる部分”に辿り着くまでに、
どれだけ悩んで
どれだけ我慢して
どれだけ傷付いて
どれだけ自分を削ってきたかなんて
他人は知らない。


笑ってるから元気とは限らないし
強く見えるから平気なわけでもない。


人前でちゃんとしてる人ほど
見えない場所で必死に崩れないよう耐えてたりする。


誰にも言わずに飲み込んだ言葉も
眠れなかった夜も
悔しくて泣いた日も
「もう無理かもしれない」って思いながら
それでも次の日には普通の顔して立ってた事も
全部その人の人生の中にある。


でも他人は
その積み重ねを見てない。


結果だけ見て
今だけ見て
都合のいい部分だけ拾って
勝手に評価してくる。


だから最近思う。


わたしの人生を生きてない人間に
わたしの価値なんて測れない。


あの時どうしてああしたのか。
どうして距離を置いたのか。
どうして強くなったのか。
どうして人を簡単に信用しなくなったのか。


全部には理由がある。


綺麗事だけで生きてこれなかったから
傷付かないために覚えた事もあるし
守るために変わった部分もある。


それを何も知らない人に
“たった一部分”だけで人格を決められるのって
正直すごく失礼な事だと思う。


でも、それはきっと逆も同じ。


わたしも
他人の人生を全部知っているわけじゃない。


どんな家庭で育って
どんな傷を抱えて
どんな苦しさを隠しながら生きてるのかなんて
本当の意味では分からない。


だからこそ
わたしは人を容易く評価したくない。


見えてる部分だけで決めつけたくないし
一瞬の印象だけでその人を語りたくない。


人にはそれぞれ
他人には見えない事情や背景がある。


優しい人にも
冷たく見える人にも
不器用な人にも
ちゃんとその人なりの人生がある。


だから
簡単に人を見下したり
知った気になって断定したりする言葉を見るたびに
すごく苦しくなる。


人を本当に理解するなんて
そんな簡単な事じゃない。


少し会っただけ
SNSを見ただけ
噂を聞いただけで
その人を分かった気になるのは違う。


その人がどんな人生を歩いて
どんな痛みを知って
何を乗り越えてきたのか。


そこを知らずに下した評価なんて
結局ただの“勝手な感想”でしかないんだと思う。