たいへん、ごぶさたしてしまいました。
2ヶ月以上ぶり? しょうもないねえ。
間をあければあけるほど、
その「タメ」みたいなものに見合うだけの
話題を持ってこなくちゃと、ハードルが上がっちゃって。
いま、世間では、「燃費偽装」ってのが話題になってますけれども
いってみりゃ、燃費が悪いですね、こういう長期サボリ癖は。
一度冷ましきってしまうと、
再燃するのに、膨大なエネルギーが必要になる。
さめないうちに、継続せねば、ということで、
これからは、このブログも、ちょくちょくやるよモードに生まれ変わります。
「おれの燃費向上」を高らかに宣言します!(今日び、よけい嘘っぽいか)
しかし、沈黙を「タメの時間」と感じてしまうのは、もうそれ自体、
非常に燃費の悪い、自意識過剰かもしれないね。
ところが、どうも自分はその傾向がある。
月1で通ってる飲み屋に、2か月ぶりで行こうとすると、
「タメ」のハードルを感じて、2倍とはいわないまでも、1・5倍くらい
食べないと釣り合わない(何がだ)気がしてしまって、よけい足が遠のいてしまったり、
会話の途中で、一度沈黙すると、沈黙を破る一言目が、
「タメ」に釣りあう(だから何がだw)だけのレベルの名言でなくてはならないような気がして
どんどんハードルが上がって、しゃべれなくなったり、
だれも、私の「タメ」なんて知ったこっちゃないのにね。
しかし人生、何十年ぶりかでたまたま会った幼馴染とかわすのが、
ほんとうに、昨日見たテレビとか、他愛ないことだったりしてね、やあっていって、何十年をとびこえて、今日の昼飯の話して、「じゃあ」っていって、また別れる。それこそ、「タメ」なんてものとは関係なく、むしろ、時間の厚みなど、意に介さず、はじめからあったようにそこにある。それこそが、自然な人生の美しい断面なのでしょう。
ってなわけで、しれっと、再開し、あえて、どーでもいいことを書き連ねております。
かといって、私はエンターテイナーですから、等身大の自分の日常を見せりゃいいとは
おもっておりません。そりゃ、目玉焼きがすごくきれいに焼けたら、自慢したい気持ちはあるけど、そのままそれを自慢してもねえ。せめて、「金玉」くらいのタイトルはつけて、いや、全然ソレ面白くないなあ。そういうこといってるから、また、沈黙するのか。
あえて、事実をフィクションで割り、詩をたらしこんででも、夢と普遍性があるものを
もっと繁くお届けできたらと思います。
あ、あと今日、2回鼻血出まちた。
もっと、書きたいけど、「じゃあ」
談
黙っていても、炎
ついたり消えたりするのは
火ではなく、ごんべんです。