したためたいこと溜まりすぎとイベント終わってから満足&エネルギー足りてなくてまとめられてない色々を少しずつ上げようかな。時系列、無視です笑
この間思い立ってすずめの戸締まり観てきた。
実はテスト週間入っちゃってるけども笑
君の名は。が、かなりスピスピしていてよかったので、今回はどんなメッセージが散りばめられ、籠められているのだろう?とおもったが
思いのほか、ダイレクトというか、
前よりもそういうスタンスが前面に出ていた感じがする。入り口にて、新海誠本というものが配られる。
内容についてはなるべくネタバレしないように気をつけるつもりだけれど、これから観に行くひとにはむしろほんと様々な情報ナシにまず一度、自分の心や感性で作品に触れて欲しいなと想う。
個人的には物凄く心揺さぶられた。
人々の営みとか、ずっとその営みをみてきた土地、想念意識、そういったものへの愛が溢れていた。同時に作品を通して流れてくる、まさにかつてあったであろう営みや想いの断片のようなものを想うと、痛く苦しくもあった。想像力豊かに、繊細な感情で観ると作品に同化しすぎてしまいそう。そしてきっとこのタイミングだったのだなと。
多くの人にとって、そう想えたならいいな。本当に当事者であればあるほど、きついかもしれんから、多くの人へ向けて発信するのは勇気が要ったことだろう。誰かを傷つけるかもしれないって側面があったとしても、その根底に愛を確信するならカタチにして放つべきだ
そしてそれをやってのけてくれてありがとう
リスペクトしかない。そんな気持ち。(←誰やw)
テーマやメッセージが重めな分、魅力的なキャラクター達のおかげでなんだかんだ泣き笑いして安心して観終えることが出来た。
最近は島根弾丸もしたし
東京に娘も居るし、もはや自分の住む、関わる土地だけじゃなく、想い馳せる土地はどんどん拡がるばかり。いつか日本のあちこちにゆっくりちゃんと行ってみたい。だからこそ、作品がロードムービーみたいで一緒に日本横断疑似体験させてもらえたのもわくわくした。ああいう、思い立ったらすぐどこへでも行くとか、この場所へ行くとか、誰かに会いにいくとか、これを食べにいくとか、そういうの、やっぱりいいよね。ネットでいつでも繋がれる良さもあるけど、やっぱり実際その場や空気や人に触れるのが大事だとおもう。
大きな震災を経験した日本人にとっては
今観るのはつらいひともきっと確かに居ると思う
それでもやっぱり、今観て欲しい。
多くの、様々に傷を持った人たちが
主人公の物語を通して、これからまた先を歩いていく為の癒し、キッカケとなればいいな。
本質的な部分への感想は語彙力おいつかなくて
ぜひ劇場で、となっちゃうんだけど笑
(多少ネタバレあり部分)
個人的にダイジンという名の猫が
愛されてると知った瞬間に毛艶よくふくよかになり
愛されていないと悟った瞬間に
可哀想な程みすぼらしい姿へと戻る様は
なんというか、胸がぎゅっとした。
人間も同じだ。愛されていると思い出す事は大事である。ちゃんとパイプさえ繋がっていれば
きっとなにが起きても本来の自分で揺らがないでいられる。
それにしたって、ダイジンが最初に要石となったときは、どういういきさつであったのだろう?
あのみすぼらしい捨て猫のような子が
依代?生贄?のような立ち位置にあるとしたら
物凄くダイジンを抱きしめたくなる…
おぉ…なぜそのようにか弱い子猫が
そうならざるを得なかったのか。。
(いうて、よく考えたらあれは仮の姿なのか。とりあえずレンタル始まったらもっかい観よ笑)
(昔からそういった哀しい連鎖が紡がれ繋がれている現実の痕跡があちらこちらにあるのも事実)
映画観終えた後に新海誠本読んでいて、改めて、よくあるチケット購入意欲を誘う為の最近の入場特典ではなく、明確に伝えたい想いや熱量があってこのようにしたんだなと想った。このタイミングで、この熱量や想いを持って、放ってるんだなと想うと
なんて尊いお仕事をなさっているんだと私は改めて沁々と感動した。
ルールや常識的にはあんまり中身はと思いつつ、この想い…
映画迷ってる人に、この想いがあと一押しに
なればいいな…なんて勝手な言い訳しつつ
最初はほんと映画館に観に行くとは思ってなかったんだけど
最近鯣やたかにぃにシェアしてもらって知ったトゥーランドブイログ?の人がタイトルからなにかあるから早速観てきますというツイートをしてるのを見かけて、気になるな。ほな今からいこか💡→あ…でもテスト期間…(チラリと部屋観に行くと勉強していないw)→勉強どうせせぇへんなら今観に行こ
…という流れ笑
そして週末休み明けテストなのに
訳あって(←私のただの思いつき!笑)
今週末、京都行く予定でいる。
ふわっち配信仲間とのライブの為に珊瑚さんが前々から大阪行く予定にしてたので
折角だからそのタイミングで
行きについでで送りがてら(さんちゃんは副業のパチンコで得たお金で既にホテル予約済みらしい)
息子と兵庫の神社行けたら行って
京都いくつか気になる神社まわりをして
ちょっと美味しいもの食べて
日帰りで帰ってくる予定。
(とても受験生のテスト期間とは思えないw)
こんな地震の多いときに
家族がバラバラなのも
自分が遠出するのも
何年か前の私なら絶対無かったな〜笑
阪神淡路大震災のときに三重もかなり揺れた。
震度はたいしたことないかもしれないけど
子どもの頃の自分には充分衝撃だった。
あの後から何年も何年もずっと地震に怯えて備えてきた。親になって守るものが出来たときがピークであった。が、余剰なほどの災害用に家や車に詰めてあったオムツやミルクも使う時期を過ぎ、家電が滑り落ちないように下に引いたジェルは退化し捨て去り、長期保存可能の食品や水は、
賞味期限切れてなくても、ずっと置いてるとなんとなく食べたい気持ちは無くなるもんだなと経験し、災害用荷物のあちこちには(複数あったw)子供達の袖を通していない服が詰めてあったままサイズアウトし、そろそろ恐れるのが飽きたといったらヘンだけど、恐れているのはなんか違うんだなって
最近は思うのだよね。ではどうあるべきか、を
散々考えてきて、誰よりもビビりで何年も警戒してこれまで過ごしてくる中で、結局は心の在りようでしかないなと結論が出て
このところは体現するタイミングなのかなと思っている。おそらく腹を決めれば揺らがない強さを持っている不動宮持ちとしては笑
ハッサンの大防御の如く、最小限の傷であらゆるものを護りたい(もちろん物理的にはそんなん無理なんだけど)そんな気持ちで自分なりにこの何十年の中で静かに覚悟出来た気がする。
これは別に地震だけじゃなくて
今何が起こるかわからん少し先の未来に
何が起こるかわからん混沌の時代だからこそ、希望を見失わない精神力とか、揺らがない心とか、自覚が持てる人達だけでもしっかりと踏ん張る準備だけはしとくといいかなって。
どんな酷いことが炙り出されても今デロデロと放出される穢い膿もすべて同じ人類、存在として
無関係なんかでは無いし、それを見ないようにするのは楽だったけど、もうそろそろ見ないふりでいられないのは多分誰もが感じてるんだろうとおもう。
こないだ母が誕生日だったので甘いもの渡しに行こうかと連絡したら北海道に居た。
お土産届けてくれた時に会ったお母さんは
今度は鹿児島行くの🥹💖
というので、いいじゃん👍私は急に思い立って
京都行こうと思ってるって言ったら
『もうこのご時世やしさぁ、行きたいところは行った方がいい🤘』と言っていて、私もそうだなと思った。笑
てなわけで、明日(今日か笑)
京都行ってくる💖
紀伊水道地味に揺れてるけど
どうか神様見守っておくんなまし〜