“仲間を作ることによって臆病になってはいないか?”
詩を考えてるときにこの一節が浮かんで、まとめようとおもったけどなにかこれはブログでいいのかもなぁと思ったのでひっそりしたためる。
どんなコミュニティも元は一対一で
人間と人間である筈なのに
いつしかその輪が大きくなってくると
集団としての意識や意見みたいなものとして
巨大化し、個々の個性や想いは
途端に出しにくくなる。
どう考えたって人の数だけ想いや価値観や
それぞれのフィルター、それぞれからの景色は
増えてゆくわけで、色合いは薄まって
様々と混ざり合って、当初のものとは
目指すものや価値観が違ってきたりして
いつの間にかそのコミュニティに占める割合の多い、いわゆる
マジョリティがベースになっていったりする。
馴染めているうちはいいのだけれど
いつしか違和感が多くなり、結局居心地がわるくなってくると私はだいたいその場を離れてしまう。ほんとはその違和感が複雑化、深刻化する前に本音云えるのが理想だけど、本音って優しくて綺麗な柔らかい世界だけじゃないから、人によっては受け取る準備が無いときもあるから
そしたら自分が我慢したらいっかって
優しい人はそうなりがち❗️
築いてきた関係性の尊さと秤にかけた時
どうしてもその違和感を伝える勇気が無くなったりして、本来伝えるべきことが云えずに
馴れ合いが常態化してしまうと
無意識下でモヤモヤが蓄積し
やがて大きな問題となって顕れてきたりする。
そのコミュニティが順調そうに拡大してる時は
一見調子がいいようにみえるが、
どこかで誰かが無理していたり、それに気づいても気づかないフリをしたりして
軋みを無視して物事をすすめるのは
誰かが本当の気持ちを大事にされてない状態
では何故軋みが出てくるのか
その軋みをどうしたらいいのか
それはもう、互いの擦り合わせる努力がなければ
乗り越えられないよね。
元々最適解ってのは人の数だけあって
多分その度合いが違う分が軋みを産む。
適度な距離感なら大丈夫なことも
その距離感を間違えるとお互い傷つく事になる
最適解に開きがあろうが、お互いがお互いのスタンスや価値観を知って、自分の状態も受け入れて自他共に尊重出来るなら共に居られる。
自然で楽しくてつるんでる間は
誰も無理してなくて、風通しがよくて
そういう状態が一番望ましいのだけれどね。
一対一でも集団でも
距離感が近くなれば互いの違いや雑さや様々な影も見えてくるね
それに対して、お互いが精神的に自立していないと、共依存、もしくはどちらかがどちらかを支え続ける状態、背負い過ぎる状態になる。
自分もどちらの立場も経験してるし
この先だってどちらに転ぶ時があるかもわからない。それでも最近は、気をつかう代わりに、
相手の中にも自分の中にも本来幸せになる力が誰もに備わっているということを信頼するようになった。
しんどいときはだいたいのひとがくれくれになる。そのスタンスでいる間は終わりがなくて、
結局どんなに周りから優しさや言葉を貰っても
麻薬みたいにもっともっとってなるし
満たされるのも一瞬。継続的に欲して
気づかないうちにそれがクセになって
周りの優しいひと、大好きなひとを
無意識のうちに喰らい尽くしてしまう。
誰かが辛そうだと
荷物もってあげようかなとか
今日は愚痴引き受けるから
ぜんぶ吐き出しちゃいなよとか
そういう風に、思いやって人と人は繋がってる
それでもそれは、余裕のあるときのはなし。
片手あいてるよって時や
相手も自分自身がクレクレになってないか、
自分で気づける間の話
それぞれの領域がある。
侵しても侵されてもいずれ破綻してしまうから
優しいひとは、ひとの荷物まで背負う必要は無い。適度な距離感から、その人が自ら幸せで在れると信頼しているよ、と。
ときたま不安になりそうなら、そんなときには
ちゃんと居るよって、相手に伝わればそれでいいんだと最近はおもう。
私は色々考え過ぎた結果、ゼロか100かちゃぶ台返しか(←笑)みたいになったりして、言葉足らずや挙動不審でよく人に誤解されるのが悩みだったのだけど
誤解されても信頼してくれる人は残るんだよなってもう解ってるから、もう過度に恐れる事はやめた。相手のして欲しいことや言って欲しいことに意識をフォーカスするのをあまりしなくなった。やろうとすればやれるだろうけど、それを親切だと思って繰り返すと、相手が依存する未来に加担してしまうってメカニズムに心底納得したから。
本当に必要とき、必要な分だけ
逆に自分もクレクレモードや孤独モード入りそうなときは外へ向けず内側へ内側へと意識を向けるようになった。自然体でいられる方が増えて随分楽になった。一対一でもこれだけエネルギーつかうんだもん、
仲間、コミュニティをつくるってのは果てしない活動なんだと最近はおもう。簡単に望み過ぎて沢山失敗したな。ひとつひとつのご縁との一対一の繰り返し、ひとりひとりと構築してないと(少なくとも自分にとっては)群れる意味がない。
そもそも拡げようと頑張ってた頃なんかは
どう考えたって噛み合わなくなるだろうなってご縁の方が多いくらいだっただろう、あっちのコミュニティでもこっちのコミュニティでも浮きまくっていた私に接近されたらだいたいの人は警戒するし、まぁ全部相手から離れていったと思うから皆賢明だったと思う笑
とはいえ少しずつ関係性を維持して構築してきた人達もありがたいことにどんどん増えているわけで、こうなってくると、コミュニティや個人間での付き合い方みたいなものをいま一度確認しておきたいなと最近思うのだよね。もう次はしくじりませんようにって笑
まぁ基本は自由度の無いがっちりしたコミュニティでなければだいたいが大人だし
もう昔ほど自分も派手にしくじりはしないと思うけどね(⌒-⌒; )
最低限、互いの距離感気をつけること…だな…
誰もがいつでも出られるしいつでも自由に入って来られる風通しのよさも大事。
そして一番想うのは
モヤっとしたらちがう意見でも臆さず云える環境であること。
そのうえで、お互いのみてるものが違うんだって理解出来れば、無駄に摩擦おこして傷つき合うことも減るだろうなとか
あとあと、仲間増えてくると
今度はそこから外の世界との分離が起きてしまいがち。いつも心地好いからつるむのでぜんぜんいいんだけど、やっぱりいつでも新しいご縁にも開いていたいなと想う。基本はやっぱり、いつでも一対一なんだよね〜。少しずつ要領得てきたかも(中3息子にこないだ、今何歳?と聞かれ、42か3て答えたら、人生もう折り返し地点じゃん…て言われたアラフォー、要領得るの遅いくらい)