ここ何年かで極端に人間関係恐れを抱きすぎて

もうどんどんだれもかれとも歪ませてしまって

こわいからもうだれにも近づけない

相手から精一杯のやさしさや気遣いを貰っても

なんだか慰みのようで、虚しくて

結局わたしは独りだ

そんな風に閉じていた


へんな間が空けばあくほど

取り返しつかなくなってきて

人見知りが癖になり

苦しいくらいならもう独りでいいや

理解されなくていいや

なんだかんだで最小限傍に居てくれる家族や友人には恵まれている。きっと欲張りなだけだと

最初から一方通行で独りでもさみしくないように


守りに入ってしまっていたけれど


ようやく少しずつ、虚勢でもなんでもなく

ひとりでも沢山でもいいってフラットな気持ちで

尚且つ押し付けがましくならないでいいように

気をつけながら、ほぼほぼ毎日配信をしております。



そんななか、久々に久々すぎるとあるひとのところへアクセス。たまたま。なんとなく。直接話したりもしてないんだけど。笑


そのときに、なんか、勘違いかもしれないし

勝手な解釈かもしれないんだけど

相手のいまの状況とか気持ちとか

すごく画面越しにながれてきたんだよね


いまにも溢れてしまいそうな、

泣いてしまいそうな、でもそれは

その場に集まるあたたかさに背を押され。

そしてそのなかのひとつとして

わたしも認識されたなかでの言葉だったかと


あんなに周りの人達とうまくやっていけてるひとも

沢山の応援に囲まれているようにみえていても


不安とか孤独とかあるのかもなぁって。

元気のない日も、そりゃあるよなぁって。


…て、それは誰しもそれなりにあるのが

ふつうのことか泣き笑い


それでも。少し前まで相手のそれが見えてなかった私には、まぁどのみち私など相手には不要だろうし

もう深く関わりにいくことはないだろうと

どこかで思っていたし、実際先のことなどわからないのだけど、なんかそういう風に

線引きしてるのって結局自分だったんだなぁって

すごく感じた。

別に拒否されたわけではないけど

同じ目線ではみられていないんだろうなって

どっかで投げやりになっていたし


でもきっと、こちらの閉じてシャットアウトする姿勢が

相手をこわばらせて、それ以上近づけさせなかったのかもしれないなって。

それを、認められていないとか受け入れてもらえてないとか、嫌われてる、馬鹿にされているとか

そんな風にどんどん閉じていってしまって

自分の気持ちしかみえてないという幼稚さ…


自分の孤独とかエゴが散々悩みまくった挙句にどうでもよくなってきてメンタルがおだやかに保てるようになって改めて相手の心も、此方の態度や言葉や表情で、揺らぎもするし、躊躇いもする。

気軽さがなくなってしまえば、コミュニケーションとるのも勇気が必要になる。さいあく、閉じて二度と開いてくれなくなるかもしれない


なんてわたしは愚かなんだろう

己でいっぱいいっぱいで

相手が見えないから失敗つづきだったよね



ちなみにこんなことは

大してまだ仲良くなれてない大勢の人達に

ほとんどこれでダメにしちゃってる

(現在進行形だし)


昔からの付き合い長い人達には

わりと素直でナチュラルで在れるのに泣き笑い


だからいつでも最初は一対一がいいんだよね

その場に沢山あまり知らない人居ると

総てに気にしすぎて、その割に

うまく気がまわせなくて

あとで反芻しては不安になったりネガティブで悶々としちゃって、次会うときには不自然でぎこちなくなってしまうから。そしてそのときにやっぱり此処にアタイの居場所は無かった…とすぐに折れてしまうから…😂笑


でもま、なんかすごく、

こんど顔みたら心からの笑顔で返そうって。

たくさんの懺悔も言い訳も

うまく伝えられなかったことも

一旦すべて流しきってしまいたい。


まっさらからみんなと改めて出逢いなおせたらいいなとはおもう。