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仕事が忙しくてくたびれ果てて


しばらく間が空いてしまいました🐷


ごめんなさい🙏


前回は


日々のストレスでうつ病を発症し


実家で療養中に


義父母により息子を連れ去られ


会えなくなったという


お話でした。



今回は


息子をめぐり


義父母との間で起こった


様々な出来事をお話しします。


それでは( ꜆..)꜆ドウゾ





《保育園も巻き込んだ義母との戦い》



義父母はしばらく


息子を保育園に行かせず


私は息子を返してもらえないまま


2週間ほど経ちました。


なぜそのような事になったのかと言うと


義母はその間


息子と私を会わせないように


息子を連れてクズ夫の赴任先の家へ


避難していたのです。


クズ夫に連絡して


その事を知りました。


そして


義母はクズ夫にこの頃から離婚を勧め始め


まだ5歳の息子に


私が病気であることを伝え


早く治るように会えなくても我慢しようね



言い聞かせていたのです。


そして


息子がクズ夫との時間を過ごす事で


父と子の結び付きを強くし


母親がいない寂しさを


クズ夫でカバーしようとしていました。


これは


義理の弟から聞きました。


義理の弟は


義母を止めようとしてくれたようですが


義母は


彼の言うことを聞かなかったそうです。


その間


クズ夫には何度も連絡して話しましたが


息子が自分を慕ってくるのが嬉しくて


そして


そこには義母がいるため


家事や


育児という育児はしなくともよく


言うなれば


大変な事をせずとも


ただ息子と一緒にいられる


クズ夫にとっては最高の環境だったため


まんざらでもないという感じでした。


そして


当時はまだ


固定電話でクズ夫と連絡を取っていたため


仕事から帰った頃に


電話をかけていたのですが


それも出てくれなくなりました。


しばらくして


保育園の担任の先生が連絡をくださり


息子が保育園に通園し始めたと知り


生活発表会という


お遊戯会が開催されるため


練習をしていることを


知らせてくださいました。


そして生活発表会当日


私は保育園へ観に行きました。


息子は私を見つけると


直ぐに走ってきて


20分ほど


しがみつくように


私に抱っこされ


降りようとしませんでした。


義母は


とても悔しそうな


なんとも言えない表情で


私たちを見ていました。


その後


しばらく居なくなり


どこへ行ったのだろうと思っていたら


後になって


園長先生へ


何故私に


生活発表会の日にちを知らせたのかと


苦情を言いに行っていたのを知りました。


その日私は


息子が私と一緒に私の実家へ帰りたいと


強く望んだので


そうさせたくない義母を振り切って


連れて帰りました。


帰宅後


担任の先生から連絡があり


あれからまた義母が


様々な苦情を保育園に言ったようで


義母と私の事で


発表会後に


保育園で会議があったと知りました。


担任の先生は泣いていました。


お互いに


本当に申し訳ない気持ちでした。


でも


担任の先生と私は


プライベートでも付き合いがあり


友達のように仲が良かったため


最後まで


私の味方でいてくれました。


その後も


保育園に行きたいという息子の意思を尊重し


私は保育園へ連れて行っていましたが


以前にもあったように


私が迎えに行くと


また息子がいない


そして少し早く迎えに行く


を繰り返し


息子は


あの家と私の実家を


行ったり来たりの生活になりました。


ある時


息子が熱を出したと先生から連絡があり


迎えに行きました。


そのことを知らない義母は


保育園に迎えに行き


私が連れて帰ったことを知り


堪忍袋の緒が切れたのか


これは誘拐だと保育園で騒ぎ立てました。


そして


担任の先生からその連絡が入りました。


先生は号泣していました。


たぶん


それまでも義母の申し出について


園長先生などから


色々と言われていたのだと思います。


私は私で


息子に異常な執着を見せる義母に対する


ストレス過多により


うつの症状が悪化していました。


先生にこれ以上負担をかけることを、


申し訳なく思い


私はしばらくの間


息子と会えないことを我慢しました。


この頃には


両家で


離婚に向けての話し合いが始まっていて


本来であれば


クズ夫と私が話し合うべきですが


最初クズ夫は


親権を私に渡すと言っていたのですが


義母がそれを阻止しようとして


義父母も


話し合いに口を出すようになったため


私の母と姉も入ることになり


1ヶ月に1回ほど


話し合いの場を持っていました。


クズ夫と義母はあまりにも愚かで


5歳の息子に


パパとママどっちと住みたい?


パパと住んだら


釣りにも行けるし


ゲームもたくさん買って貰えるよ


ママと住んだら


保育園も変わらないといけないし


ママは病気だから


ゆっくり休ませてあげないとね


みたいな事を吹き込んだと


義理の弟から聞きました。


クズ夫と2人で会った時に


クズ夫から


息子は自分と住みたいと言っていると聞き


私は気が狂いそうでした。


それ以降のことは


正直あまり覚えていません。


もう精神的に限界だったのだと思います。


ある日


気付けば母に抱き締められていました。


辺りを見回すと


私の部屋の色んな物が散乱していて


母いわく


私はあまりのストレスから


自分の部屋で


色んな物を投げ散らかし


姉がその物音に気付き


母が飛んできたそうです。


そして


泣きじゃくる私を見て


母は私を抱き締め


その時に私は我に返りました。


母は私が落ち着くまで抱きしめた後


今は息子を諦めよう。


まずは病気を治そう。


病気を治して


息子を迎えに行こう。


と言いました。


今思えば


母は


今目の前で苦しんでいる私を


なんとかしてあげたかったのだと思います。


そして母に説得され


親権をクズ夫に渡すことになりました。


私と母は


次の話し合いの際


週末は息子と過ごすことを条件に


親権をクズ夫に渡す事を伝えました。


そして


病気が治るまで


息子を宜しくお願いしますと


頭を下げ


それからしばらくして


離婚が成立しました。


そしてその後また


義父母とクズ夫に


裏切られる事になるのです。