正直に書いてみよう。

はじめてだけど、書いてみようと思った。


固いかも…(・・。)ゞ

でも、自分への問いかけだし、とりあえず書き出してみようかな。

え~っと…


幸せと感じることは、小さいと忘れたり、気付かなかったりする。

不幸なことは、小さくても覚えているし、それ一つでもすごく

大きな出来ごとのように残る。

だから、自分は不幸だと思ってしまう。

自分ばかり、不幸な目に遭うと思ってしまう。

でも、本当は気付かなかっただけで、幸せなことにいっぱい

出会っているものだ。


お店でおまけをしてもらった、友だちから久し振りに電話があった、

晴れていた、お化粧がうまくいった…etc


だから、ちゃんとチャラになるようにできている、と

思う。


ある日、私はとても急いでいた。

息子を迎えに行く直前に、役所から電話が入って出遅れたのだ。

だから、心の中で思わず「間に合わせて!」と亡き父に祈った。

(いつも困ったら父に頼んでいる)

すると、ひとつも赤信号にかからず、ちゃんと間に合った!

私は父にサンキューと言いながら、ちょっと幸せな気分になった。

結構ついてるな、と思った。

単純な性格!


こんな風に、小さいけど幸せなことが結構ある。

きっとこういうことなら誰にでもあると思う。


それを貯めていったら、最悪!って思うことの一回分くらいには

なるかも。


だから

悪い事しか起こらない人なんかいない。


最悪だった日でも、一つくらい「うふっ」っていうことがきっとある。

小さくでも、ちょっと微笑んだこと、ニンマリしたこと、

ほっこりしたこと、きっとあったはず。


今日テレビで桂南光さんが、「一日単位で生きる」とおっしゃっていた。

そうそう、私もそう思う!

一日の目標を達成できれば、それでよし!

その積み重ねなんだなぁ…。


明日も小さなラッキーに気付いて喜べるよう過ごしたいな。













大人ってどうなんだろう?もう長い間大人をやってるけれど、私の全部が完ぺきに大人になっているのかというと、自信はない。大人の意義?みたいなのがよくわかっていない。

よくわからないまま、何十年も「大人」として生きている。

最近、少し焦っている。残りが少なくなってきた人生、これまでより確実に少ない人生。

何か残さなくちゃ、やり残したことがないよう、納得できる生き方をしなくちゃ…と。

歴史上の人物みたいに、偉業を成し遂げたりはしていない。たぶんこれからも。

でも、生きた足跡は残したい。子孫とかじゃなく、何か残したいと思った。

自己主張が強いのかな。


私は、よく自分のこれまでの生き方を、「自転車のライト」だと思ってきた。

走っている間は、灯りがともるけれど、止まると消える。だからずっと走ってきた。

走ること=頑張ること。

こけても、すぐ起こして走った。

ある時、その話を私よりずっと若い青年としていた時、「でも最近は充電式のライトがあるよ。だからずっと走ってなくても点いてるんだ」と、彼が教えてくれた。

え?充電式?知らなかった!

「そうか、じゃ走れる時に頑張って充電しとけばいいんだ。疲れたら押して歩いてもいいんだ」と、すごく疲れて悩んでいた私は、気持ちが楽になって納得した。確かにずっと走っているより楽だ、とすぐ楽な方に流された。


すぐには自転車を降りることはできなかったけれど、最近は時々降りて、道端の花にも目を留められるように、気を付けるようにしている。

しっかりと充電をして、多少疲れても、その輝きが褪せないように。灯りが消えないように。

若い頃と、その輝きの色は変わっても、ずっと消えることがないように。


50を過ぎるとよく「人生の折り返しを過ぎ…」と例えられるけれど、

私の人生は途中で折り返さない。戻れもしない、前に進むしかない、一本の道。

だから通り過ぎた景色は、もう観れない。

その一瞬ごとを見逃してはいけないのだ。

そのためにも、時には自転車を降りて、ゆっくり歩きながら景色を楽しまなくてはいけないのだと、

やっと気付いた。

遅い…。気付くのが遅い。

だから焦った。


誉められたくて頑張ったっていいじゃないか。大人だからってそんな気持ちはダメ?

いい大人が?いい年をして?誰に誉めてもらいたいんだ?


家族に、友人に…でも結局は、一番自分に誉めてもらいたいから走っている気がする。

それが私の中の大人の部分?なのかなぁ。


あと数年で還暦なのに、まだこんなこと言ってて大丈夫か?私…・

と、また焦る。