『宇治拾遺物語』は鎌倉時代の説話集です。

面白い話がたくさん収録されていますが、今回は笑い話ではなく、「ほう」という感じのお話。

 

まず『物名もののな』という技法をご存知でしょうか?

 

以前にも取り上げたことがあるのですが、和歌の中にテーマとなる名詞(物の名)を隠して詠み込む技法です。

 

例えば、次の歌は「淀川」を読んだ歌です。

 

あしひきの山辺にをれば白雲のいかにせよとかはるる時なき

〔山の麓にいると白雲が空を覆っており、いったい私にどうしろというのか、晴れる時がないよ〕

 

これのどこに「淀川」が詠まれているのか?

 

あしひきの山辺にをれば白雲のいかにせよとかるる時なき

 

このように、一見分からないように隠して詠むことから「隠し題」とも呼ばれます。

なお、濁点や半濁点という記号は、ずっと後の時代に使われるようになったものなので、柔軟に考える必要があります。

 

今回は、この技法を用いた見事な歌を思いがけぬ者が詠む、というお話です。

 

今となっては昔のこと、隠し題をたいそう好みなさった帝が、「ひちりき」を題として皆に歌を詠ませなさったが、人々が下手に詠んだので、木を切る子どもが、夜明け前に山へ行くといって、このように言った。

 

「この頃、帝が"ひちりき"を詠ませなさるそうだけれど、誰も上手くお詠みになることができないんだって。僕は上手く詠めたんだ」と言ったところ、一緒に行く子が、

 

「なんて大それたことを。そんなことを言うもんじゃない。身の程知らずで腹立たしい」と言ったので、

 

「どうして、必ず歌の善し悪しと身の程が一致するということはないよ」と言って、

 

めぐりくる春々ごとにさくら花いくたびちりき人にとはばや

〔毎年春が来るたびに咲く桜の花は、これまでに何度散ったのか、人に尋ねたいものだ〕

 

と言った。

身の程に似合わず、思いがけないことだ。


隠し題を好んだ帝が、「篳篥ひちりき」を題として臣下に歌を詠ませていたけれど、誰も上手く詠めない。

そこで思いがけない身分も低い童が上手に詠んだ、とう話。

 

めぐりくる春々ごとにさくら花いくたびちりき人にとはばや

 

思いがけない子が上手に歌を詠む、という話は珍しくないものです。

人は見かけによらない、というような話は古来教訓として語り継がれているのですね。

 

ちなみに、篳篥というのは雅楽の楽器です。

 

ところで、この童が詠んだ歌は帝の耳に届いたのでしょうか?

童たちの間だけで詠んだだけなら話として残らないでしょうから、伝わっていたのかもしれません。

また、これは説話なので、当時の世に伝わっていた話ではありますが、事実なのかは分かりません。

 

また、同じ話が『古本説話集』と『醒睡笑』にも掲載されているそうですが、そちらの本文は未確認です。


〔本文〕

今はむかし、かくし題をいみじく興ぜさせ給ひける御門の、ひちりきをよませられけるに、人々わろくよみたりけるに、木こる童の、暁山へ行くとていひける、

「この頃ひちりきをよませさせ給ふなるを、人のよみ給はざなる、童こそよみたれ」といひければ、具して行く童、

「あなおほけなき事ないひそ。さまにもにず、いまいまし」といひければ、

「などか、かならずさまに似ることか」とて、

めぐりくる春々ごとにさくら花いくたびちりき人にとはばや

といひたりける。

さまにもにず、おもひかけずぞ。

 

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