鎌倉時代の説話集『宇治拾遺物語』です。
たくさんの説話が収録されていて面白い作品ですが、今回は巻一の十七段「修行者、百鬼夜行に逢ふ事」です。
百鬼夜行ひゃっきやこうとは夜中に妖怪や鬼の群れが徘徊したり行進したりすることを言います。
今となっては昔のこと、ある修行者が摂津国まで行き着いたところで日が暮れてしまったが、近くに龍泉寺という、大きくて古びた人もいない寺があった。
これは人が一晩泊まるような所ではないとは思ったが、その辺りには他に泊まることができそうな所もなかったので、仕方がないと思って、背負っていた箱を下ろして中に入って座った。
ノウマク サマンダ バザラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン
不動明王の真言を唱えていたところ、真夜中になっているだろうかと思う時分に、大勢の人が話しながらやって来る音がするような気がした。
見てみると、手に手に火を灯して、百人ほどがこの堂内に集まって来ていた。
近くで見ると、一つ目の者など様々なのがいて、人間ではない異形の集団だった。
ある者には角が生えていた。
頭の形も、何とも形容しがたく恐ろしげなものどもである。
恐ろしく思ったが、為すすべもなくて離れることもできず見ていると、妖怪どもはみな座った。
ひとりだけ座れる場所がなくて、火をふりながら近づいてきて、修行者をじっと見てこう言った。
「おれが座るべき場所にもったいなくも不動尊がいらっしゃる。今夜だけは外においでなさい」
そう言って、片手で修行者をつまみ上げて、お堂の軒の下に据えた。
そうこうするうちに、暁になったといってその集団は大騒ぎで帰っていった。
「本当に驚きあきれた恐ろしい所だなあ。早く夜が明けてくれ。出て行きたい」と思っていると、やっと夜が明けてきた。
辺りを見回すと、あったはずの寺がない。
はるばると野原が広がっており、やって来たはずの道も見えず、それどころか人が踏み分けた道すら見えず、先に進むべき道もないので、「驚くべきことだ」と思っているところに、たまたま馬に乗った人々が多くの人を連れて通りかかった。
たいそう嬉しく思って、
「ここは何と申す所でしょうか」と尋ねると、
「どうしてそんなことをお聞きなさるのか。ここは肥前国だ」と言うので、
何と驚くべきことだと思って、昨夜の出来事を詳細に話して聞かせると、この馬に乗った人も、
「たいそう珍奇なことだ。ここは肥前の国のなかでも奥の郡である。我らは国司の庁舎へ参上するところだ」というので、修行者は喜んで、
「私は道も知りませんので、それでは道まで一緒に参りましょう」
といって一緒に行ったので、そこから京へ行くべき道などを教えたところ、船を求めて京へ上って行った。
そうして人々に、
「このような驚くべきことがあった。津の国の龍泉寺という寺に一晩泊まったところ、鬼どもがやって来て『狭くて窮屈だ』と言って『もったいない不動尊よ、しばらく軒下においでなさい』といって、私を抱きかかえて軒下に据えたと思ったら、いつの間にか肥前の国の奥の郡にいた。こんな信じられない目に遭ったのだ」
と、京に来て語ったという。
摂津国というのは、今の大坂と兵庫にまたがる旧国名です。
龍泉寺というのがはっきりと特定されていないようですが、大阪府富田林にある龍泉寺のことか、と推測されているようです。
蘇我馬子によって建立されたという、非常に古い歴史のある寺です。
ただ、その寺の所在地は旧国名でいうと河内国らしい。
修行者が鬼によって外につまみ出され、朝になってみるとそこは肥前国だった、という。
肥前国というのは、現在の佐賀と長崎にまたがる旧国名です。
*ワープできるとは、なんと便利な血鬼術であることか。
作り話でしょ、と切り捨てるのは簡単ですが、どうしてこんな話を作る必要があったのか?
それはもちろん分かるはずもありませんが、例えば遅刻や欠席の言い訳とか。
いや~、あの日は近くまで来ていたんだけれど、変なところで日が暮れてしまって。
付近には龍泉寺という人もいない薄気味悪い寺しかなくて、しかたなくそこで一夜を過ごすことにしたんだがね。
夜半過ぎに、ドヤドヤと大勢が集まってきて、そっと覗いてみたら何と鬼の集団だったのよ。
あまりの恐ろしさに震えて身動きが取れずにいると、1匹がこっちに近づいてきて外につまみ出されてしまって。
震えながら過ごして朝になってみると、なんと肥前国にいたのさ!
そんなわけで、あの日はやむなく欠席することになったわけよ。
バカヤロー、そんなわけあるか!いい加減にしろ!
なんて話が元ネタだったりして。笑
(原文)
今は昔、修行者のありけるが、津の国まで行きたりけるに、日暮れてりうせん寺とて大きなる寺の古りたるが、人もなきありけり。
これは人宿らぬ所といへども、そのあたりにまた宿る所なかりければ、いかがせんと思ひて、負うちおろして内に入りてゐたり。
不動の咒唱へゐたるに、夜中ばかりにやなりぬらんと思ふ程に、人々の声あまたして来る音すなり。
見れば、手ごとに火をともして、百人ばかりこの堂の内に来集ひたり。
近くて見れば、目ひとつつきたるなどさまざまなり。
人にもあらず、あさましきものどもなりけり。
あるひは角おひたり。
頭もえも言はず恐ろしげなるものどもなり。
恐ろしと思へども、すべき様もなくてゐたれば、おのおのみなゐぬ。
ひとりぞまた所もなくてえゐずして火をうちふりて、我をつらつらと見ていふやう、
「我ゐるべき座にあたらしき不動尊こそゐ給ひたれ。今夜ばかりは外におはせ」
とて、片手して我をひきさげて、堂の軒の下にすゑつ。
さる程に「暁になりぬ」とてこの人々ののしりて帰りぬ。
「まことにあさましく恐ろしかりける所かな。とく夜の明けよかし。いなん」と思ふに、からうじて夜明けたり。
うち見まはしたれば、ありし寺もなし。
はるばるとある野の、来し方も見えず人の踏み分けたる道も見えず行くべき方もなければ、あさましと思ひてゐたる程に、まれまれ馬に乗りたる人どもの、人あまた具して出で来たり。
いとうれしくて、
「ここはいづくとか申し候ふ」ととへば、
「などかくは問ひ給ふぞ。肥前国ぞかし」といへば、
あさましきわざかな、と思ひて、ことのやう詳しくいへば、この馬なる人も、
「いとけうのことかな。肥前国にとりても、これは奥の郡なり。これは御館へ参るなり」といへば、修行者よろこびて、
「道も知り候はぬに、さらば道までも参らん」といひて行きければ、これより京へ行くべき道など教へければ、船たづねて京へのぼりにけり。
さて、人どもに、
「かかるあさましきことこそありしか。津の国のりうせん寺といふ寺に宿りたりしを、鬼どもの来て、所せばしとて『あたらしき不動尊しばし雨だりにおはしませ』といひて、かき抱きて雨だりについすゆと思ひしに、肥前国の奥の郡にこそゐたりしか。かかるあさましきことにこそあひたりしか」
とぞ、京に来て語りけるとぞ。