京都の漬物で「酸茎すぐき」というのがあります。
「すいくき」とも「賀茂菜」とも呼ばれることがあると言います。
京都駅構内の土産物店で買って食べたことがありますが、けっこう前のことなので味は覚えていません。
この酸茎にまつわる『沙石集』の話は、僕が所有している新編日本古典文学全集(小学館)には掲載されていません。
底本によっては載っていない話のようです。
ある姫君が、殿方のもとに嫁入りなさることになっていたので、乳母が教えたことは、
「優美でおしとやかな女性のことを、『まるでどこかの姫君のようで』と申します。姫様はつまらないことばかりを口うるさくおっしゃる御癖がおありなことが、姫君としてふさわしくないように思われますので、殿がお聞きになるような時は、あまりものをおっしゃらないでください。『ああ、何かお話しください。あなたの話が聞きたい』と殿がお思いになる時にお話しくださいませ。春のウグイスが籬の竹に訪れて素晴らしく鳴くのを聞くように、姫様がお話しなさるのは珍しいことであってくださいよ」と教え申し上げたところ、
「そんなことは乳母よりも早く、とうの昔に心得ているよ。どうして小賢しく教えようとするの?」とおっしゃるので、
「お心得さえございますならば、それこそ安心に存じます」と言った。
さて、殿のもとに嫁入りなさった後、姫君は二三日の間ひと言もお話しにならない。
乳母が「これはいくら何でもあんまりだ」と思っていたころ、姫君が殿と並んでお食事を召し上がっていたときに、実に美味しい酢茎すいくきがあったのを、もっと食べたいと思われたのだろうか、膝を立てて、肩をすぼめ、まるで羽繕いをするようなかっこうをして、あごを突き出して首をのばし、声を作って、
「スイ~~~クキ、食わう!」
二声、ウグイスの鳴き真似をするようにおっしゃった。
乳母はあまりに情けなく、また驚きあきれて、これ以上言わせまいと思い、
「すぐにお持ちしましょう」と言ったが、遅かったので、
「キトキトキトッ!」と言った。
※「きと」は古語で「早く」の意味。
殿も実に興ざめなことだと思われた。
物事の真意を理解せず、言葉を表面的に受けとめて失敗してしまうことは、俗世間でも仏門の世界でもあることだ。
非常に面白く大好きなお話で、高3夏期講習の最終日にこれをやっています。
すると疲れた受験生が少し元気になるという。
画像:Wikipediaより拝借
ウグイスは春を感じさせる鳥で、多くの日本人が好きな鳥です 🐤
ホーホケキョのリズムで「すいくき食わう」と言ったのがこのお話のキモですが、「キトキトキト」も鳥の鳴き声なのは文脈上明らかです。
おそらく、これもウグイスかと思います。
ウグイスは「ケキョケキョケキョケキョ」と鳴くことがあり、これではないかと思います。
ケキョケキョケキョケキョ、という鳴き方を「谷渡り」と言うのだそうです。
警戒しているときにこの鳴き方をするのだとか。
さて、「食わう」は現代語の表記にすれば「食おう」なのは察しがつくと思います。
この「う」という助動詞は現代語でも使っているもので、「さあ行こう」などと使います。
「う」は、平安時代には「む」または「ん」と表記されていました。
現代でも、わざと古さを演出したい時に「いざ行かん」と言っても通じます。
鎌倉時代以降の文学でも「む/ん」と表記することは多々ありますが、話しことばとしては「う」に変化しており、書き言葉にもそれが流入されつつあったのでしょう。
(原文)
或る姫君、殿の許へおはすべきにてありけるを、乳母教へけるは、
「やさしく尋常なることをば、物の姫君なむどのやうにとこそ申せ。なにとなき事のみ、御口がましき御癖のおはします事のしかるべからずおぼえ候に、殿の聞かせ給はむ時、いたく物な仰せられ候ひそ。あはれ、この御前の、物を仰せられよかし。聞かむなどおぼしめす時、ものは仰せ候へよ。春の鶯の、籬の竹におとづれむを聞かむやうに、珍しき御事にて候へよ」と、教へ申しければ、
「我はままよりさきに心えたるぞ。なにしにさかしく教ふる」とのたまへば、
「御心得だに候はば、其こそ心安く思ひ参らせ候へ」とぞ言ひける。
さて殿の許へおはして後、二三日はつやつや物もの給はず。
是も余りなり、と思ひける程に、殿とならびて物めしけるに、よによき酢茎のありけるを、なほほしく思はれけるにや、膝を立て、肩をすべ、羽づくろひするやうにして、首を延べ、声を作りて、
「酢茎くはう」と二声、鶯の鳴くこわ声にての給ひける。
乳母、余りに心憂く、あさましくおぼえて、又いはせじとて、
「やがて参らせむ」と言ひけるが、遅かりければ、
「きときときと」とぞ言ひける。
実に興さめて殿も思はれける。物の心を得ずして詞にしたがふこと、世間出世かくこそありけれ。