明治期に日本を訪れた欧米人の多くは「木と紙でできた家」に非常に驚いた、と言われます。

そんな日本の町並みですから、火事は恐れられてきました。

街全体が燃料と言っても良いくらいなので、一度火の手が上がると凄まじく燃え広がったことでしょう。

江戸時代には「火消し」が組織され、更に放火を取り締まる「火付盗賊改」が組織されました。

「鬼平犯科帳」は大好きな時代劇です。

 

さて、今回は鎌倉時代の説話集『宇治拾遺物語』から火事にまつわる変人のお話です。

 

これも今となっては昔のこと、良秀りょうしゅうという仏画師がいた。
隣家から出火して、風が覆い被さるように迫ってきたので、家から逃げ出して大通りに出た。

人が依頼して描かせる仏画も家の中におありになったし、また、着物も着ていない妻子などもそのまま家の中にいた。
それを気にもせず、ただ逃げ出したのを幸いとして、向かい側に立った。
見ると、早くも火は自分の家に燃え移り、煙や炎が立ちのぼるまで、じっと向かい側に立って眺めていたので、

 

「驚いたことですね」といって人々が見舞いに訪れたが、良秀は少しも慌てた様子がない。

 

「どうしたのですか」と人が尋ねると、良秀は依然として向かいに立ったまま自宅が焼けるのを見ながら頷いて、時々笑ったりしていた。

 

「ああ、これは儲けた。長年、下手に描いていたのだなあ」と言うとき、見舞いに来ていた者たちが、

 

「これはいったいどうして、こうも平気で立っていらっしゃるのか。呆れたことだ。物の怪でも取り憑きなさったのか」と言ったところ、

 

「どうして物の怪など憑くものか。長年、不動尊の背後の火焔を下手に描いていたのだ。今我が家の火事を見るにつけ、炎はこうして燃えあがるのだと分かったのだ。これは儲けものだ。仏画の道を専門にして世を生きていくには、仏様さえ素晴らしくお描き申し上げれば、百でも千でも家を建てることなどできよう。あなた方は、たいした才能をお持ちでないから物を惜しみをなさるのだ」

 

と言ってあざ笑って立っていた。
名を上げたのはその後のことだろうか。
「良秀の捩り不動」といって、今でも人々は賞讃しあっている。


えーと・・・

変人、という言葉で片付けてよいのでしょうか?💦

 

妻子を残して家を飛び出したのは特にあり得ないですよね。

しかも、まったく気にする様子もなかったとのこと。

 

ただ、これは原文だと、「知らず」に飛び出した、と書かれています。

 

文字通り、「妻子がまだ家にいるのを知らずに飛び出した」という解釈もあり得ます。

しかし、どちらにせよ、妻子を助けに家に戻ることはなく、ただひたすら炎を観察していたという点は動きません。

 

不動尊、というのは不動明王と同じです。

 


Wikipediaより拝借

 

大日如来の化身で、右手に持つ剣で、人の迷いや邪悪な心を断ち切ってくださるのだそうです。

不動明王の背後の炎が大きな特徴です。

良秀は、自分の家が火事で燃えさかる様子を見て、この不動明王の背後の炎の描き方の大きなヒントを得たのだそうです。

そして、不動明王を描く第一人者となり「良秀の捩り不動」と言えば泣く子も黙る(?)ほどになったのだとか。

 

ところで、「捩よじり不動」とは何でしょう?

三省堂詳説読解古語辞典によると「背後に燃え上がる火炎がよじれている不動明王の像や図像」とのことです。

 

それにしても、心配して声を掛けてくれた近隣の人に対して「あんた達はオレと違って才能がないからケチなんだ」とはあんまりな言い草ですえー

これだから芸術家は・・・と一括りにしてはいけないのでしょうね。笑

なお、ほとんど同じ話が『十訓抄』にも載っています。


(原文)

 

これも今は昔、絵仏師良秀といふありけり。
家の隣より火出で来て、風おしおほひてせめければ、逃げ出でて大路へ出でにけり。
人の書かする仏もおはしけり。
また、衣着ぬ妻子などもさながら内にありけり。
それも知らずただ逃げ出でたるを事にして、向かひのつらに立てり。
見れば、既にわが家に移りて、煙・炎くゆりけるまで大方向かひのつらに立ちて眺めければ、

「あさましきこと」とて、人ども来とぶらひけれど、騒がず。
「いかに」と人いひければ、向かひに立ちて、家の焼くるを見て、うちうなづきて、時々笑ひけり。

「あはれ、しつるせうとくかな。年ごろはわろく書きけるものかな」といふ時、に、とぶらひに来たる者ども、

「こはいかに、かくては立ち給へるぞ。あさましきことかな。物の付き給へるか」といひければ、

「なんでふ物の付くべきぞ。年ごろ不動尊の火焔を悪しく書きけるなり。今見れば、かうこそ燃えけれと心得つるなり。これこそせうとくよ。この道を立てて世にあらむには、仏だによく書き奉らば、百千の家も出で来なむ。わたうたちこそ、させる能もおはせねば、物をも惜しみ給へ」

といひて、あざ笑ひてこそ立てりけれ。
その後にや、良秀がよぢり不動とて、今に人々めであへり。

 

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