前回、菅原孝標女像を訪ねた記録にも書きましたが、2019年のGWは10連休ということで、遠出は回避。
今度はより近場の鎌倉を散策してきました。
5/05の10:30ごろ家を出て、江ノ電の和田塚で下車してまずは腹ごしらえ。
その後、由比ヶ浜まで歩いて鎌倉文学館へ。
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加賀前田家の別荘だったそうです。
3階建ての洋風建築で、良い雰囲気です。
※館内は撮影禁止
鎌倉にゆかりのある近現代の文学的資料が展示されています。
おまけのように『十六夜日記』と令和記念の『万葉集』も展示されていました。
于時初春令月 気淑風和
〔時に初春令月、気淑く風和らぐ〕
という箇所ですが、その展示では「和ス」と送り仮名を打っていたので、「わす」と読んでいるわけですね。
僕は「なごやかなり」でも良いんじゃないかな、と思っています。
文人たちの原稿を読むのは楽しいですね。
川端康成の字は綺麗ではないですが読みやすく感じました。
原稿用紙に筆書きの人もいたり、様々。
『豊饒の海』の特設展示が行われていた三島由紀夫は達筆ですね。
自害する前にドナルド・キーンに宛てた手紙はさすがに原稿とは違って乱れていました。
自分の死後、『豊饒の海』の第3部と第4部が無事に出版されるように力を貸して欲しいと懇願する手紙でした。
2019年のうちに『豊饒の海』を読もう。
何か、そう思いました。
その下敷きになっている『浜松中納言物語』も読みたいのですが、文庫になっておらず。
『講談社学術文庫』から出たら良いのに。
小学館の古典文学全集を買うかどうか、考え中です。
そして、綺麗なお嬢さん方がちらほら単体で来館しているのも意外でした。
日本も捨てたもんじゃないと思いました
さて、ここまでの散歩ルートはこんな感じ。
この後は、『十六夜日記』関連の史跡を訪ねて極楽寺へ。
『十六夜日記』は阿仏尼が書いた鎌倉時代の日記/紀行文です。
遺産相続争いの訴訟のため、京の都を出発して鎌倉に向かいます。
しかし、京都~鎌倉を徒歩で、って考えただけで…
そんな阿仏尼が鎌倉に辿り着いてから居住したのが極楽寺の近辺で、本文にはこのように書かれています。
東にて住むところは月影の谷とぞいふなる。浦近き山もとにて、風いと荒らし。山寺の傍らなれば、のどかにすごくて…
〔鎌倉で住む所は“月影の谷”というそうだ。海岸から近い山の麓で、風がたいそう荒々しい。山寺のそばだから、静かで寂しくて…〕
と、この山寺が極楽寺のことです。
こぢんまりとしたお寺です。
この山門は寂しげですが、絶え間なく参詣の人がちょこちょこと訪れていました。
境内は撮影禁止ですが、そもそもそんなに撮影するような所もありません。
この極楽寺の近辺を昔は「月影の谷/月影が谷」といったそうです。
「谷」は「やつ」と読みます。
その石碑があるはずなので探したのですが、全ッッッッッ然見つかりません
スマホ片手に駅前の通りを何度行き来したことか。
仕方ないから駅員さんに聞いても分からないと言われ。
根気よくスマホで情報を探すと、
「極楽寺の駅から稲村ヶ崎方面に歩いて、2つめの踏切のところにある」
という詳細情報を発見
てか、事前に発見しとけよ、っていう。笑
苦労して辿り着いた石碑のタイトルは「阿佛邸舊蹟」と記されています。
「佛」は「仏」の、「舊」は「旧」の旧字体です。
大正9年に立てられた石碑らしいので古語ではありませんが、読むのが面倒な人も多いでしょうから、分かりやすい口語にしてみました。
ちなみに、辞書で調べると阿仏尼の没年は弘安六年(1283年)とされています。
この石碑が立っている所がピンポイントで阿仏尼邸ではないのでしょうが、この一帯がかつては「月影が谷」と呼ばれており、その地のどこかに住んでいたということでしょう。
そして隣にもう1つあった石碑。
こちらは「月影の谷若葉して道清し」という句碑で、詠者は戸川稲村という高浜虚子の門人だそうです。
知らんけど。
というわけで。
鎌倉文学館から極楽寺までの散歩ルートはこんな感じでした。
プラス極楽寺駅前の通りを何往復もした、という。笑
というわけで、散策を終えた頃には16時すぎだったかな。
疲れたので帰りは江ノ電で帰りましたが、超満員。
万歩計は持っていませんでしたが、けっこう歩いた気がします。
京から鎌倉まで歩いた阿仏尼に笑われそうですけど。
2019GWの文学旅はこれで終了です。