あづまぢの道のはてよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人…
〔東海道の最果ての地よりも、いっそう奥まった辺りで育った私は…〕
と始まる『更級日記』は平安時代に書かれた古典文学作品です。
作者は菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ。
菅原孝標女は、父親が上総国の国司(上総介)だったため、幼少期を上総国(今の千葉県)で過ごしました。
東海道の最果ての地は常陸国(今の茨城県)ですが、そこよりも京寄りの上総国を「なほ奥つ方」と表現しているのは考え所ですが、房総半島が南に奥まった感じがするのでこのような表現になったのではないか、という説があります。
十三になる年、上らむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所にうつる。
〔十三歳になる年、上京しようということで、九月三日に門出をして、いまたちという所に移った〕
※「いまたち」の詳細は分かっていません。
と、先ほどの冒頭部分のすぐ後に書かれています。
上総の田舎で育った作者が、父親の国司としての任期が終わったので帰京することになった、という所からこの日記は始まるのです。
その上総国の国府(県庁みたいな所)がどこにあったのかというと、今の市原市ではないかと言われています。
それで、『更級日記』の帰京の旅の出発地点はこの辺りだったのではないか、ということで、千葉県市原市の五井駅東口には菅原孝標女像が立てられているのです。
2019.05.01。令和の初日に写真を撮りに行って参りました。
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よーーく見てみてください。
何かおかしいことに気がつきますか?
( ゚д゚) ・・・
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚) ・・・・・!
(つд⊂)ゴシゴシゴシゴシゴシ
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(ಠ益ಠ)!!!!!
中央分離帯やんけ!
どうしてこんな所に立像したのでしょう??
町おこしに活用する気はないの??
ふつう、こういう像は無理矢理でもゆかりのある寺や神社を探して立てるものだと思うんですけどねえ
せめて駅前の敷地にそれなりのスペースを確保して立てなさいよ。
こんな所に立てた結果、まったく町おこしの役にはたっていません。
レンタカー屋のノボリには「更級日記の町」的なことが控えめに書かれていましたが。
五井駅東口に向かって伸びている大通りの名は「更級通り」ではありましたが。
こういう地味な感じなのは知っていましたし、住んでいる所(横浜)から微妙な距離なので、なかなか訪れようという気になりませんでした。
しかし、10連休ということで、京都や奈良に行ってもどうせ大混雑だろう、と思って遠出は回避し、ここに行ってみたのでした。
行きはアクアラインでスイスイと。
帰りもアクアラインを通るつもりだったのですが、ナビに騙されて京葉道路→首都高速湾岸線というルートに回されました。笑
ところが。
京都・奈良行きを回避した意味はなく。
同じように考えた人がメチャメチャ多いらしく、意外とどこも空いているそうで。
10連休にしたら消費が伸びる、と考えた浅知恵な官僚および政治家どもよ。
学べ ! ! !
消費が伸びないのは残念なことなので、この10連休を計画した連中にはぜひ失脚していただきたい。
国民が最初からそんなものを望んでいないことくらい分からんのかね?
無能が。
休む余裕があって休みたい人は有給を取るのだよ。
それとも有給という制度を知らないのかね?
今さら京都や奈良まで出かける計画を立てるわけにもいかないので、行きません。
もう一箇所、行ってみたい地味スポットがあるので、行ったらまた記事にしたいと思います。
というわけで、今回はここまで
ではまた。