古文を読む上で欠かすことができないものの1つに「無常観」という観念があります。

「無常」とは、「常なるもの」つまり「いつまでも変わらずに在り続けるモノ」は「無い」ということ。

この、「世に永遠不滅のモノはないんだ」という考えをベースに、「現世に固執しても空しいぜよ、いつか人は死ぬんだし。で、輪廻してまた人間に生まれ、その命もいつか終わり、また転生して…。この無限ループを断ち切って極楽浄土に行こうじゃないか、その為には出家して仏道修行に励もう」というのが仏教です。

別に布教活動をしようというわけではないのですが(笑)古典文学はこの無常観に基づいて書かれたものが少なからず存在します。

 

今回はその無常観を扱ったものの代表的な文章として、教科書にもよく掲載されている『徒然草』の第7段です。

最初に言っておきますが、面白くはありません。ゲラゲラ

 

あり得ないことだが、あだし野の露が消える時もなく、鳥部山の煙がいつまでも空にあり続けるとしたら、もしそんな風に人間がいつまでもこの世に生き続ける習わしだったとしたら、どんなに情趣もないことだろう。
世の中は無常だからこそ素晴らしいのだ。
命あるものを見るにつけ、人間ほど長生きなものはない。
朝に生まれた蜻蛉は夕方を待たずに命を終え、夏の蝉は春や秋を知らない、そんな短命な生物もこの世にはある。
しみじみと一年を暮らす間だけでも、この上なく暢気なものだ。
それでも、飽き足らず惜しいと思うならば、たとえ千年生きたとしても、一夜の夢のような心地がするだろう。
いつまでも生きていられるわけではないこの世界で、年老いた醜い姿を待ち迎えてどうしようというのか。
命が長ければ恥も多いものだ。
どんなに長く生きたとしても、四十歳に届かないくらいで死ぬのが見苦しくないはずだ。
それを過ぎてしまうと、容貌の衰えを恥じる心もなく、人と交流することばかりを心にかけて、老境に入ってから子や孫を愛し、彼らが栄えてゆく将来を見届けるまで生きることを思い巡らし、ひたすら世俗的な欲を張る心ばかりが深く、ものの情趣も分からなくなってゆくのは情けないことだ。


(原文)

あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ、住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。
世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。
かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。
つくづくと一年を暮らすほどだにもこようなうのどけしや。
飽かず、惜しと思はば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ。
住み果てぬ世に、醜き姿を待ちえて何かはせん。
命長ければ辱多し。
長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそめやすかるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交じらはんことを思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなんあさましき。


【語釈】

●あだし野
現在の京都市右京区嵯峨野の奥にある墓地。現在は化野念仏寺あだしのねんぶつじがある。下の写真は化野念仏寺の象徴的な風景である西院の河原。三途の川のほとりの賽の河原を模している。

●露
寒い季節になると空気中の水分が水滴となって草葉の上におりる。それを、朝なら朝露、夜なら夜露という。風が吹くとパラパラと音を立てて飛び散ってしまうため、「あっけないもの」の比喩となる代表的な存在。「露=無常の象徴」という感じ。ここではその無常な人間の命を暗示している。

●鳥部山
当時、清水寺の南方にあった火葬場。今でも鳥辺山という表記で残っており、そのふもとは鳥辺野という。「鳥」という字が入っているのは、鳥葬を行っていたためである、という言い伝えもあるようだ。

●煙
古文で出てくる「煙」は火葬の煙のことを言っている場合が多く、ここでももちろんそう。そして煙もまたすぐ消えることから無常を表す言葉になり得る。ここでは「露」と同様、人間の命を暗示している。

●かげろふ(蜻蛉/蜉蝣)
三省堂全訳読解古語辞典によると、①虫の名。とんぼに似た形で小さく、美しい羽をもち水辺を飛ぶが、弱々しく、成虫でいる期間が短いので、はかないもののたとえに用いられた。②ある種の蜘蛛くもの子が白い糸を出し、晴れた日の空に浮遊するもの。「糸遊いとゆふ」とも。と説明されている。ここでは①。古代中国の文献(淮南子)に「蜉蝣は朝に生まれて暮に死す」という一説があるそうだ。

●夕べの陽
夕日が沈むころ、ということは、すなわち人生の終わりが見えてきた頃の比喩的表現。


無常観とはなんぞや、ということがよく分かる明快な文章です。

 

最初に断った通り面白くはないですが、世の無常を説いた文や、それがメインでなくとも、出家しようとしている人物が出てくる物語などでは、この「露→すぐ消える→はかない→無常」というような連想がすぐできるかどうかが理解の鍵を握ることもあります。


こういうのが分からないまま高3になって予備校に駆け込んでくる子もいますが、学校でもちゃんと習ってるはず。

学校の授業ちゃんと聞いといてくださいねパー

 

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ
にほんブログ村