最終回ですが、何の前触れもなく雰囲気が変わります。
別の日か、または伊周らが席をたった後です。
中宮様が何かお話をなさったついでに、
「私のこと好き?」
とお尋ねになったの!
「も、も、もちろんです」
とお返事を申し上げると同時に、台盤所の方で誰かが大きなクシャミをしたものだから、
「あらヤだ!うそを言ったのね!いいんだいいんだ」
とおっしゃって奥にお入りになってしまったの
うそなわけないのに…。中宮様への思いはちょっとやそっとじゃないのに…。
あきれたことに、あのクシャミこそがうそをついたんだと思うわ。
にしても、いったい誰がクシャミなんて憎たらしいことをしたんだろう
だいたい、クシャミは気に入らなくてしかたないから、我慢できない時でも押し殺すようにするものなのに、あんなに堂々とするなんてメチャクチャ腹立たしいと思うけれど、まだ初々しかった私はなんともお返事できなくて、夜が明けたから局に下がったの。
とすぐに浅緑の薄様の優美な手紙を、
「これを」
といって持ってきたのを開けてみると、
「いかにしていかに知らまし偽りを空にただすの神なかりせば
〔どうやってあなたの本心を知ったらいいのでしょう。あなたの言葉がうそか本当か、すべてお見通しの糺の森の神がいなかったなら〕
ですって。中宮様のお気持ちは」
とあって、素敵!と思いつつ残念でもあり、思い乱れるにつけても、やはり昨夜のクシャミの犯人は腹立たしく、憎んでやりたいわ
「薄さ濃さそれにもよらぬはなゆゑにうき身のほどを見るぞわびしき
〔花だったら薄いも濃いもありますが、私の中宮様への思いは薄い濃いのムラもありません。それなのにあのハナ~クシャミ~のせいで、つらい目にあったことが切なくて…〕
やはりこれだけは中宮様に取り繕って申し上げてください。式の神もお分かりくださるでしょう。うそをつくなんて畏れ多いことです」
と書いて差し上げた後までも、「ああムカつく!よりにもよってあのタイミングでどうしてクシャミなんかしたんだろう」と、とても嘆かわしかったわ。
(原文)
ものなど仰せられて、
「我をば思ふや」
と問はせ給ふ。
御いらへに、
「いかがは」
と啓するにあはせて、台盤所のかたに鼻をいと高うひたれば、
「あな心憂、そら言を言ふなりけり。よしよし」
とて奥へ入らせ給ひぬ。
いかでかそら言にはあらん。よろしうだに思ひ聞こえさすべきことかは。
あさましう、鼻こそそら言はしけれと思ふ。
さても誰か、かくにくきわざはしつらん。
おほかた心づきなしとおぼゆれば、さるをりもおしひしぎつつあるものを、まいていみじうにくしと思へど、まだうひうひしければ、ともかくもえ啓し返さで、明けぬれば下りたる、
すなはち浅緑なる薄様に艶なる文を、
「これ」
とて来たる、開けて見れば、
「いかにしていかに知らまし偽りを空にただすの神なかりせば
となん、御気色は」
とあるに、めでたくもくちをしうも思ひ乱るるにも、なほ昨夜の人ぞねたくにくままほしき。
「薄さ濃さそれにもよらぬ花ゆゑにうき身のほどを見るぞわびしき
なほ、こればかり啓し直させ給へ。式の神もおのづから。いとかしこし」
とてまゐらせて後にも、うたてをりしも、などて、さはたありけん、といと嘆かし。
【語釈】
●我をば思ふや
中宮定子の言葉。「思ふ」には、愛しく思う・愛する、の意味もあり、ここではそれ。
●啓する
主語は清少納言。「啓す」は、中宮or東宮(=皇太子)に申し上げる、ということで、話し相手が特定される。
●鼻をいと高うひたれば
「鼻ひる」はくしゃみをすること。くしゃみはよくないことの前兆と考えられていた。清少納言が「中宮様をお慕いしています」と言うのと同時に誰かがくしゃみをしたので、中宮定子は「あなた、嘘を言ったのね」と言っている。くしゃみは嘘とも結びついていたようだ。ちなみに清少納言はくしゃみが大嫌い。
●おしひしぎつつあるものを
「おしひしぐ」は、おさえつける、の意味。くしゃみは気に入らない物だから、するときは押し殺すようにするものだ、と言っている。
●いかにして~神なかりせば
中宮定子の歌。それを女房が代筆したもの。歌の後の「となむ、御気色は」は女房の添え書き。「ただすの神」は掛詞で、「真偽をただす」の意味に「糺ただすの森の神」が掛けられている。「糺の森」は下鴨神社の境内に広がる森。
また、「…せば~まし」の反実仮想(=仮定法)が倒置で逆の順序になっている。
●薄さ濃さ~わびしき
清少納言の返歌。「はな」は「鼻」と「花」との掛詞。
●式の神
陰陽師が使う神で、人の行動を監視するものもいるようだ。
これでこの章段は終了です。
意外と長かったですね。
最後に和歌の贈答がありますが、ちょっと難しいかもしれません。
まあ解説に書いた通りなのでこれ以上付け加えることはないですが。
清少納言は清原元輔の娘です。
清原元輔は2番目の勅撰和歌集である『後撰和歌集』に収録する歌を選んだ「梨壺の五人」の1人です。
勅撰集の撰者になるほどの大歌人の娘である清少納言もまた「中古三十六歌仙」の1人に数えられています。
昔、高校時代の教科書に載っていたような気もするのですが、最後の方はまったく記憶にありません。
途中までだったのかな?
とにかく、中宮と初めて和歌を交わした思い出なんじゃないかな、と思います。
以上、「宮にはじめてまゐりたるころ」でした。