1 私の故郷
私は,福井県の南部にある三方町(現在の若狭町)の鳥浜という農村に生まれました。実家は,米と梅を作っている農家です。
自宅の前には,はす川が流れており,三方湖につながっています。
三方湖は三方五湖の一つです。三方五湖は五つの湖がつながっているのですが,三方湖の他に,水月湖,菅湖,久々子湖,日向湖があります。
写真の手前が水月湖で,奥が三方湖,向こう側に,はす川の河口が見えると思います。
2 水月湖
三方湖のとなりの水月湖に流れ込む大きな川はありません。
水月湖には三方湖から水は供給されますが,はす川で洪水が起きても三方湖が砂防ダムのような働きをして,水月湖にまで泥や砂は流れ込みません。
そのため,水月湖の湖底には,泥やプランクトンの死骸,植物の花粉などが静かに堆積していきます。その厚みは年間に約0.7ミリメートルです。
木は1年に1つの年輪ができますが,同じように,季節ごとに湖底に堆積する物が変化していますので,1年に1枚ずつたまっていきます。切り取ると縞模様が見えます。これが「年縞」です。
水月湖には厚さにして45メートル,7万年分の年縞が保存されています。
3 年縞の発見
年縞が発見されたのは平成3年です。その後,調査が続けられ,平成18年に行われたボーリング調査によって,完全連続の年縞資料が採取されました。
現在,水月湖畔にある年縞博物館に展示されており,45メートルに渡る年縞を見ることができます。本当に綺麗な縞模様です。
この年縞は,7万年前までの地球の歴史(特に気候の変化)を年単位で教えてくれます。年縞の中の花粉を調べると,その時代の植生が分かります。
水月湖の年縞は「世界一正確な年代が分かる堆積物」としての地位を確立し,「レイク・スイゲツ」として世界中の研究者にその名前を知られるようになりました。
4 水月湖の年縞発見にきっかけ
水月湖の年縞が発見されたのは,鳥浜貝塚の発掘がきっかけです。鳥浜貝塚は1万2000年前から5000年前にかけての縄文時代の遺跡で,日本最古の丸木舟や世界最古のウルシが発見されています。
私の実家の前にあり,私は子どもの頃,土器の破片を拾って遊んでいました。
鳥浜貝塚は,はす川の拡幅工事に伴って,昭和55年から60年まで本格的な調査が行われました。
調査は,川の水をせき止めて,川底よりも深いところまで,土を掘り下げます。その上で,手作業で少しずつ土を掘っていきます。夏場は,サウナ状態となりとても過酷な環境になります。
5 母が調査に参加
その鳥浜貝塚の調査に,私の母が参加しました。学術的な興味から参加したのではなく,調査が始まった昭和55年に私が大学へ進学したので,私に仕送りするために働き始めたのです。
母は料理や裁縫を得意とする家庭人でした。華奢な身体で,か弱い女性が働いていることから,誰でもできるだろうと思って,働き始めた人が沢山あったのですが,その過酷な労働環境のために続く人はありませんでした。
私が司法試験に合格する昭和60年まで,母が貝塚調査を続け,仕送りをしてくれたからこそ,私は勉強を続けることができ,弁護士になることができました。どれだけ感謝してもしすぎることはありません。
両親は今82歳で,元気に農業も続けています。本当に嬉しいことです。
6 あとがき
中川毅著の「人類と気候の10万年史」は,オーディオブックの無料キャンペーンの中にあったので,聞き始めました。すると,水月湖の年縞が詳しく紹介されており,鳥浜貝塚も登場するではありませんか。私の故郷のことであり,私が今存在することに深い関わりがあるので,ブログに書きました。