1 選択肢    

前回は,行動経済学の相対性ということについて書きました。人間は,一つの選択肢だけでは,それが良いか悪いかの判断ができません。複数のものを比較する必要があります。

このことは弁護士の仕事にも深い関係があります。

 

弁護士が相談を受ける場合,相談者はこのトラブルにどう対応してよいのか分かりません。

弁護士は専門家として,最良と考える方法をアドバイスしますが,その際に「裁判するしかありませんね」とか「裁判はしない方がよいと思います」という結論だけを示すことはよくありません。相談者は戸惑ってしまいます。それは比較ができないからです。

 

「裁判をしなかったら,こうなります。」という選択肢と「裁判をしたらこうなります」という選択肢,場合によっては「調停の場合はこうなります」という複数の選択肢を示すことが必要になります。複数の選択肢があると,相談者もよく理解できますし,適切な方針を決めることができるのです。

 

2 勝訴判決

裁判で勝訴判決を得た場合,依頼者に必ず喜んでもらえるのかというとそうではありません。何と比較するかによります。

たとえば,賃料不払いの借家人に対して明渡を求める裁判を起こし,勝訴判決を得て出て行ってもらうことができたとします。

このような場合で,依頼者が喜ばないことがあります。賃料払いとなった時点ですぐに借家人が出ていったケースと比較すると,弁護士の費用を支払い裁判に時間をかけて出て行ってもらったというのは,経済的にも時間的にもとても良い結果とは思えないからです。

しかし,裁判をしなければ,賃料を支払わない借家人が居座り,別の人に貸すこともできませんので,このような事態と比較すると喜ぶことができます。

 

判決の場合も和解の場合も,その結果が依頼者にとって良かったということを比較によって説明することが大切です。

「勝訴判決なんだから,勝ったと分かるはず」というのは弁護士の理屈であり,必ず丁寧な説明が必要となります。

 

3 比べて喜ぶ幸福

ダン・アリエリー氏の「予想どおりに不合理」(早川書房)から,もう一つ事例を紹介します。

今から約30年前,アメリカ企業の役員報酬が高額すぎることが問題となり,証券規制当局が報酬の公開を義務づけました。自分の報酬が公開されることになれば,法外な報酬を決めづらくなるだろうと考えたのです。

 

ところが,結果は,その反対でした。役員報酬は公開前の3倍の水準になりました。報酬が公開されたことによって,「あの社長があれだけもらっているのなら,私はもっともらってよい。」ということで,どんどん上がっていったのです。

人間は相対性の生き物です。人と比較して,人よりも上回らないと幸福になれないのです。

 

4 今の自分との比較

ダン・アリエリー氏は,相対性とは他人との比較だけでなく,過去の自分との比較も含むと言います。

他人よりも多い収入を得たい,他人よりも言い車に乗りたい,他人よりも立派な家に住みたい,他人よりも出世したいという気持がありますが,これだけでなく,今よりも収入を増やしたい,今よりももっと良い車に乗りたい,もっと立派な家に住みたい,もっと出世したいと,比較をするのです。

我々の欲望にはキリがありません。

 

5 相対性の連鎖を絶つ

そして,ダン・アリエリー氏は「人は持てば持つほどいっそう欲しくなる。唯一の解決策は,相対性の連鎖を絶つことだ」と結論づけています。

これは同氏の矛盾です。

人間の本質が相対性なのですから,「相対性の連鎖を絶つ」などということは絶対に不可能なはずです。

一切の財産や家族を捨て,すべての情報を遮断して,山の中で1人ぼっちの生活をすれば,相対性の連鎖から逃れられるかもしれませんが,そんなことは実行できません。

 

相対性の連鎖を絶つことは不可能ですから,我々は生涯,他人との比較や過去の自分との比較によって,一喜一憂し続けることとなります。