おはようございます。昨日は佐賀で会議…
の前に、どうしても行きたいところがありましたので
早起きしていってきました。
江藤新平といえば、不平士族に担ぎ出された佐賀の乱の首謀者。刑死したというイメージが強いですが
日本初の司法卿(法務大臣)です。
幕末。若くして、開国して貿易をする利や蝦夷地(北海道)の開拓を書物として現し
先を見据えていた俊才。
その才覚は、明治政府にとってとても貴重なものでありました。
国民全員に教育を受けさせる、教育制度や
権力の集中をさける為の三権分立。『当時は太政官(今の内閣)、左院、右院。つまり参議院と衆議院、そして裁判所という形になります』
今までの藩から郡や県に変える郡県制。
この辺りの法的な制度の整備は江藤の献策がなくてはならないものでした。
国民の為に。江藤が貫いた志は
薩長閥でかためようとしている新政府との間に軋轢を産み、征韓論(韓国に対する立場)の対立により
頓挫することになります。
最後は、佐賀の不平士族を抑えるという気持ちで佐賀に帰っているところ
明治政府からの征討軍が出されて
ご存知の通り、佐賀の乱へと繋がります。
不平士族への見せしめもあって、ろくに裁判にもならず
斬首刑となり、さらし首にもなりました。
後に大赦が出されて、死後ようやく名誉が回復しますが
草創期の明治政府。もうすこし遅く生まれていたら
政治家として、いかんなくその才能を発揮できていたのかもしれません。
幕末から維新、そして明治の激動の時代。
優れた見識をもって駆け抜けた江藤新平。
その業績を知ることが僕ら後の世代ができる供養なのかなと思います。
佐賀城内にある本丸歴史館にて5/12までやっておりますので、お時間許せばぜひ観てみてください。