そろそろ夏を迎える。
夏の終わりにはこの鹿島の地にも拠点を構え、1年となる。
夏至が過ぎ、1年の折り返しだが、年明けからのイメージとまったく異なる展開になっている。
そう思うと去年の今頃は鹿嶋へ拠点を移すことが脳裏に浮かんできた頃だろうか。
とにかく人生は思いも寄らない方向へ行き、
それが良い方向に向かうものであると感じている。
令和6年の年明け1月半ばに志木市議会議員選挙への出馬を突如決め
そこから準備に入るも、青天の霹靂で
國學院大學剣道部の監督を辞任するハメになった。
前年に70年ぶりとなる全日本学生優勝大会3位入賞の実績を出し、
改革の途中で、辞めるつもりも毛頭なかったが、
内部を仕切る人物から追い詰められるように、
辞任に追いやられた悔しさは忘れられない。
こちらの身勝手で送り出されたとされており、
誰にも相談も出来ず、反論もせず、
静かに去ったのは無念であった。
そのまま選挙戦に突入した。
地元の応援ももちろんあったが、
今までの人間関係から外部から援護をしてくれた
人たちが多かった。
この選挙戦は22人が乱立する混戦となったが、
善戦虚しく敗れた。
しかし2ヶ月足らずの準備、
私もそうであるが、仲間が誰も選挙を知らない中、
見様見真似で正々堂々と戦ったことは
密かな誇りとなっている。
選挙期間中もほぼ1人で自転車に乗り
声を枯らし、合計66箇所で街頭演説が出来たのは、
貴重な経験等なった。
受かる気でいたが、深夜の連絡もなく、
速報で破れたことを知った時は、
今までにない絶望感に襲われた。
次の日からが大変であった。
恥を晒すように事後の挨拶に回ったり、
身内からも辛辣な言葉を投げられた。
思い返せば、あのとき、自分の中で
頑なに握りしめていた、しがらみの糸が
ぷつりと切れたのだった、
その実感が湧くのはだいぶ後のことで、
好きなことをし、志木市から離れて、好きな場所で
始めようと思ったのもこのあたりのことだったのかもしれない。
そんなこんなで、7月から鹿嶋の物権を見て回り、
決め、引っ越しの準備と事業スタートする準備を同時並行で行った。
そして、8月末には鹿嶋に引っ越し、週末は剣道場をやると言う2拠点の生活が始まった。
この頃、描いていた事業計画とは、まったく違った展開になっているから面白い。
また去年の選挙直後は剣道場の門下生も子供4人と大人1人であったが、今では3倍以上になっており、
指導も3名体制となっている。
剣道場も他所と比べたら、試合や大会での実績もないのに、感覚的に面白い立ち位置を見つけ、
そこが刺さっているのではないかと分析している。
フリースクールの方も、当初よりも生徒の増え方が緩やかではあると感じるが、
思っていたよりも採算ラインが低いことや、ボランティアと事業の中間のような立ち位置から、
人的や公的な援助も受けやすいようなところもあり、助かっている。
やってみて良かったのは、子供にも親にも、学校にも地域にも、働いている人たちにも感謝されると言うことだ。
剣道場もそうであるが、みんなが楽しそうに一生懸命やる姿や大人から子供まで和気藹々とした雰囲気が良いと感じる。
これは2つに共通する特性であると自負している。
今年に入り、志木のキャンバスの立ち上げも行い、鹿嶋から逆輸入の形で志木をオーブンしたのが4月で、現在すでに通っている子供がいることは嬉しい限りである。
このような事業を始め、今までにない方々との交流もたくさんある。
FMラジオにも鹿嶋と埼玉の富士見市で出させてもらい、行方市のテレビにも出演した。
さまざまな活動をしている人たちとも会え、今までにない価値観を共有できている。
少し見方が広がったと言うか、まだまだ知らない世界があることを思い知った。
なんでもかんでもお金と効率を求めがちであるが、
そればかりではない。
こう言うことを言うと綺麗事だと思うかたもいるが、本当にそう思っている。
幸せはお金の尺度ではなく、目に見えていないところでの豊かさを通じて、溢れてくるものだと思う。
そのお蔭で人間関係の煩わしさやしがらみを感じることはほぼなくなった。
狭い価値観で支配される世界で生きるのと
どちらが良いかと言えば明白だろう。
伸び伸びしている。
生活にハリが出てきて、日常も丁寧に一心になった気がしている。
一心は一新に通じ、同じことをやっているようでいて、普段が輝いているのだ。
顕著に変わったのが食だと思っている。
こちらに来た当初は、外食ばかりであったが、農家の方からフリースクールへと米をもらったことをキッカケに
自炊でご飯を炊くようになり、
冷凍野菜などを使って簡易的な調理をしていたのが、
今では旬の野菜を地元の道の駅などで買い求め、簡素ではあるが、地のもの旬のものを自分で作って食べている。
これがものすごく気持ちが良い。
果物なども食べた事がなかったが、摂取したり、焼き芋をオーブンで焼いたりと随分と食が変わっている気がしている。
草むしりや木々の枝の剪定も小まめに行い、近頃では野菜を栽培するようにもなった。
話しがだいぶ逸れてはしまったが、とにかく生活というより、生き方自体が完全に新しい世界にシフトしたようだ。
とは言え、従来の社会と完全に決別しているようでもなく、程良い距離感での付き合いのような立ち位置で関わっているのが、心地良いと知った。
当初は完全に振り切るような気持ちでもあったが、極端から極端では結局同じことになることに気付き、
今はどっちでもない、どうとでも取れる、中立な立場から選択できる、くらいのところで落ち着くことを覚えている。
これは子供たちの学校、剣道との関わりにも大いに役立てて行こうと思っている。
社会システムを否定せず、どっぷりも浸からない。剣道であれば、試合の勝ち負けに拘り過ぎず、かと言って否定せずの立場を貫こうと思う。
いろいろととりとめなく書いたが、備忘録的にこのまま書き留めておこうと思う。
ここまで来ると流れが信用できると言うか、一見ダメなことが起こったとしても、それは最善な何かに繋がる。そして安心して、自分の人生を、流れに任せることが出来るようになった気がする。