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平林選手の祝賀会で國學院大學剣道部の監督としての仕事は最後になりました。
平成30年にコーチ、令和元年から4年まで助監督、令和5年は監督と微力ながら國學院大學剣道部の指導に関わって参りました。
特にコロナ禍では、指導者がいることが活動の条件の時期もあったので、平日の日中など仕事のやりくりをしてはほぼ毎回の稽古に参加していたことを思い出します。通常通りの稽古となってからも渋谷には土日含めて週に4〜5回通っていました。
監督として活動出来た期間は短い間でしたが、コーチ、助監督時代からの部員との人間関係もあったのでスムーズに、学生にも私が支えられながら、務めることが出来たと思っております。
少し監督として取り組んできたことを、あまり話す機会がなかったので、ここに書き留めて置きたいと思います。長くなりそうなのでテキトーに飛ばして下さい(笑)
監督として私が心掛けたのは、いかに選手にやりやすい、伸び伸びと本来の力を発揮できる安心した環境を提供できるか、指導というより全体のマネジメントに重きを置いていた気がします。
大学の監督は剣道の技術指導だけではないようです。OBや大学との関わりも重要ですし、いろいろな縁に紡がれています。
そういったことを円滑に回せるように、自分自身も裏方にも回り、事務的なことにも目を配りました。特に今年は夏合宿、高校生招待試合も含めコロナ前に行事がすべて戻った年でもありました。4年という歳月がちょうど2つの行事を経験したことのない世代になったので、私も率先して動きながら主務とは連携をとって、彼らが困らないように調整していました。
それに伴い、トップダウン型の組織運営をなるべくやめ、コンセンサスをとり実行していくということを心掛けました。学生との関わりを増やし、コミュニケーションを活発にしながら、学生たちに考えさせ、話し合わせ、彼らが決めてきたことに対しては大方了承しながら、見守るスタンスで接していました。意見が割れたら最終的に私が決定していました。そういうことも2回ほどありましたが、監督お願いしますと云われたときは嬉しかったですね。今までの感覚から行くと何を言ってるんだと思われるでしょうが(笑)また節目のミーティングなどは良くやっていたと思います。夏合宿でも説教めいたミーティングではなく、毎回テーマを決めて準備して行いました。ここは私の方針や考えを伝え、チームの方向性を共有する場としました。
私は企業研修の講師もすることがありますが、企業で行うチームビルディングやリーダーシップ研修のエッセンスを剣道部運営には応用しました。とにかくコミュニケーションと風通し良くですね。
学生とも関係が良いときばかりではありませんでしたが、最後は全日本の大舞台で3位と言う結果が残せたことは何よりだったと思います。ちなみに昨年は女子も関東優勝大会で3位、全日本優勝大会で大将がアキレス腱を切るアクシデントがあった中でもベスト16まで進んでいます。選手は動揺したはずですが、主将が戦列を離れた後でも3年生が代わってチームをまとめてくれました。それは選手の中で自主性が育っできた成果ではないかと私なりに分析しておりました。
これから数年かけて優勝を狙えるチームを作り上げるつもりではありましたが、突然のことではありますが、私自身のこれからとして、政治の道に進む決意をいたしました。
私は監督との両立を目指したかったですが、なかなか難しいようです。学生には申し訳ない気持ちであり、かなり悩みましたが、両立は出来ないとされた以上、前に進むことにいたしました。
短い間でしたが、母校の剣道部に関われたことはこの上ない幸せでした。学生とも楽しい思い出がたくさんできました。本当にありがとうございました。
これからOBとして稽古には行くつもりでいますが、引き続き國學院大學剣道部をよろしくお願いいたします。
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