剣道における人間形成−剣禅一致を中心として−小日向貴史 | 志木への愛!小日向たかふみ活動記録

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剣道の人間形成について剣禅一致の思想から掘り下げていきました。

 殺人の技術であった剣がどのような経緯で人間的な修養を求められるようになったのか。ひとつは徳川の世になり戦闘としての剣が不要になっていったことがあります。

 家康は剣の指南役の柳生宗矩に平和の剣を求めます。宗矩のひとつの回答が禅僧沢庵からの示唆でしょう。宗矩はこれをヒントに剣禅一致(一如)の思想を打ち立てます。しかし剣も禅もあらゆるすべてのことはひとつを気付くことに終結していくように思えます。対立、分離の概念を超えたところにある仏教で言えば無分別智です。

 剣道も競技的なこと儀礼的なことを含めて社会で生きるための人間形成的要素が教育として含まれますが、究極を言えば無心、我を落とし切ったところに現れる静寂の世界、それがすべてが調和する「和」の世界です。

 人間形成と言うと社会の枠でより良い人間になろうとすることが感じられますが、人間の気付きを掘り下げていくとそこまで深く入れるのかもしれません。

 しかし禅の思想の文献が少ない。なぜだろうと思っていましたが、書けないのだと言うことだけは分かりました(笑)

 禅もそうですが仏教書や哲学書が読みにくいのは捉えられない世界を言葉で表そうとするからなんですね。それを「方便」と言ってときと場合や聞く人の理解度によって言葉を使い分けるので、私はこう言われた、いやいや私はこうだったと言葉尻を掴まえに行くからますます真理から遠のくようなことになっているのかも。もしかしたら分からないことそのものこそすでに無分別の世界を垣間見ていることなのかもしれません。

 本書も大変読みにくく理解しがたい内容となっております(笑)


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