まるる
来栃二十年。
やや無理くり感はありますが、
今日はそんなお話。
ちなみに…
前回の記事でブログのタイトルについて触れたので
勝手にひとりでえらいプレッシャーを感じていますw
(漢字の羅列はとたんに読む気を消失させますね、笑)
RUKA姉さんが小学校にあがる年、
平成12年の3月の末に
私たち家族は以前住んでいた岡山県から
旦那の地元である
ここ、栃木県に引っ越して来たのですが、、
あらららら?
栃木に暮らし始めて
今年でちょうど
20年になるじゃない!!!
ということに、夏ごろ気がつきました。
(元号が切り替わったことで惑わされてたわw)
てことは、あれね。
引っ越して来た平成12年って
西暦でいうと2000年だったのね~!!
そしてそして、
生まれ故郷の
島根県で過ごした18年間を
越えてしまってるじゃないのぉ~~!!!
旦那と暮らしている歳月が
親と暮らした歳月を追い抜いていった時も
感慨深いものがあったけど、
こちらも胸に迫るものがあるわ
私は元来、
何処に行ってもすぐに馴染めるほうなので
誰も知り合いのいない
故郷から遠く遠~~~く離れた
栃木県で暮らすことは
当初、まったく心配はしていなくて...
関東というなんだか華やかげな響きに
むしろワクワクしていたくらいでした。
ところがなんてことでしょ-。
予想に反して早々に、
私は挫けてしまったのです
なにがそうさせたのかと言いますと、、
北関東特有の
尻上がりの
イントネーション!!!
今でこそ、愛しくてたまらない抑揚ですが
はじめは、それになかなか馴染めず
遠くに来ちゃった感を
一層助長させていたような気がします。
おもしろいな~と思ったのは...
20年も経てば、さすがに私も
ふつうに栃木弁を使っているつもりですが、
いまでもたまに言われるんです↓
まるるさんは
栃木の人ではないでしょ!
自分では、同じように喋ってるつもりだけど
やはり、ネイティブスピーカーには
かなわないんですよね。
微妙に、ほんと微妙ではあるけれど
なにかがおかしいらしいw
たぶん、一生そこは埋まらない、と思う。
そして、それでいいんだ、とも思う。
20年、あっという間でしたね。。
栃木に越してきた年の秋、
仕事で東京まで来ていた父が
会いに来てくれました。
そのときの写真です↓
父はすでに他界していますし
子供たちは大人になったので
唯一、現役の私だけ顔をボカしますw
栃木での暮らしが綴られた
この20年間の手帳を箱から出してみました。
小さな字でびっしり書かれているので
手帳というより日記帳。
(あれ?なんで数が足りない?多いよりいいかw)
雄大な関東平野
都心への日帰り圏
ほんわかあったかい方言
故郷の島根県と同じくらい
栃木県が、北関東が大好きです
魅力度なんて、
訪れてから判断してくださいw
最後に。
なんで、10月になって
この記事を書いたのかと言いますと、、
何故ならば~~、
今年の10月で
ブログ開設10周年を迎えたからなんです!!
途中2年間、中抜けしたので
正確には8年間ですけどね!
その、ブログ10周年記念に
栃木生活20周年も
乗っからせてもらった、というわけ
ま、とりあえず
キリのいい周年でめでたいので
折り紙で作った富士山を載せて終わります。