ご無沙汰しておりました。
しばらく、アメブロから離れていたので
自分の更新はもとより、
皆さんのブログにも顔を出せずにいました。
すみません。
 
最近、姿を見ないけど元気?
と、メッセージやLINEを下さった方々、
ご心配をおかけしました…
この場を借りて
あらためてお礼申し上げます。
 
 
かねてより
病気療養中でありました
旦那のお父さんが
16日に永遠の眠りにつきました。。
83歳でした。
 
前回の記事に書きました、
【長野一泊旅行】から帰った翌日の深夜に
お義父さんの容体が急変、、
病院から電話が入り
静かに息を引き取りました。
 
(ブログには書いていませんでしたが)
お義父さんは、昨年の12月に再入院…
病院で治療を受けており
もう長くはない事は告げられていました。
それでも、2月くらいまでは
頑張ってくれるだろうと思っていましたが
早いお別れとなってしまいました。
 
家族旅行はもともと
昨年、私たち夫婦の銀婚式を記念して
夏休みに4人で
どこか格安の海外旅行でもしようと
子供たちが計画してくれていたのですが
さすがに、
病気の父を置いて行くことはできず
中止になっていました。
 
それが、
お義父さんが再入院した12月に、
何かあった後では
しばらく家族で出かけることも
できなくなるので
それほど遠くはない場所に
一泊なら行けるだろうと、
行くなら今しかないだろうと、
急遽、長野旅行が決定した…
というわけです。
 
容態がよほど悪ければ
中止にする予定でしたが
血圧も安定し呼吸も落ち着いているので
先生からは
「今すぐ急変はないだろう」
と言われていてのことでした。
 
 
故人が死期を選ぶと言いますが、
お義父さんは
私たちが旅行から帰って来るのを
待ってくれていたような、
そんな気がしてなりません。
お義父さんが
行かせてくれたのかな、と。
 
 
お義父さんは
私のようなダメ嫁にも文句ひとつ言わず
腹の底では思うことはあったでしょうが
顔や態度に出されることはなく
私のやること言うことを
いつも黙ってニコニコしながら見ている…
そんな方でした。
遠くから嫁いで来た私は、
その優しさにどれだけ救われたことか。
 
そして、
とてもお喋りの好きな人でしたが
愚痴や「たられば」でものを言うことは
まったくなく、、
前だけを見据えていらして
終わったことをくどくど言うのを
一番嫌う人でもありました。
 
また、いつもどっしりと構えていらして
一切ぶれることのない強さのある、
男気溢れる人でもありました。
 
 
お義父さん、
天国で私の父と再会できましたか?
もう好きなものを好きなだけ
召し上がって大丈夫ですよ!
お義父さんとふたりで出掛けた
足利の日帰り旅行、楽しかったですね!
嫁に来てから26年間、
私のことを守り導いてくださいまして
本当にありがとうございました。
 
そして…
私が一番伝えたかったこと。
 
息子さん(旦那)を
とても優しい強い人に育てて下さったこと
心から感謝します。
 
 
告別式は
一生忘れられない感動の日となりました。
告別式では、喪主の挨拶のほかに
親族代表で故人への手紙を読む時間が
設けてあるのですが、
孫のRUKAとRUKIにその旨を伝えると
息子のRUKIが
「俺がやってもいいよ!」と。
これには私も旦那もびっくりで…。
娘のRUKAが快諾するのは
予想出来ましたが、
どちらかというと
人前で喋るのは苦手であろう息子が
自ら名乗り出たからです。
すると、後からRUKAも
「私もおじいちゃんに伝えたい!」と…。
結果、ふたりでお手紙を読むことに。
 
告別式の日まで
それぞれが伝えたい言葉を文章にして
子供らふたりで入念に打ち合わせをし
本番に臨みました。
手紙の内容は当日のその時まで
私も旦那にも教えてくれませんでした。
 
そして、当日。
ふたりの堂々とした態度と手紙の内容に
胸が震え、私と旦那の頬は
後から後から流れ出る涙で濡れました。
それは、何かを参考にしたわけてはなく
嘘偽りのない、また繕われたものでもない、
自分たちの言葉で書かれたものだったから。
そして、時折、言葉をつまらせながら
そのときに感じた思いを
アドリブを加えながら語っていたから。
 
特に、息子RUKIの挨拶は
参列いただいた方からも
「素晴らしい挨拶だった」
「感動して泣いてしまったよ」
と、ありがたいお言葉を頂戴しましたっっ!!
 
その手紙は封筒に入れ
棺に納めましたので手元にありませんが
本人たちに了承を得て
下書きのものを借り
印象に残った箇所を一部抜粋して、
ここに記しておきます。
 
 
おじちゃん、長い人生ご苦労様でした、、
から始まった挨拶。
おじいちゃんとの思い出を語ったのち
次のように締めくくりました。
青字が、その場で即興で考えたアドリブです下げ^^^
 
息子RUKI
先ほど、父親が喪主の挨拶で
おじいちゃんのことを尊敬していると言ってました。
あまり言ったことはありませんが
私も父親を尊敬しています。
その父親が尊敬するおじいちゃん…
尊敬する父親を育てたおじいちゃんが
どれだけ偉大であったのか、
あらためて感じることができました。
そんなおじいちゃんや父親にくらべると
遠く及ばない私ですが、
これからの人生、様々な経験をしていく中で
少しでもおじいちゃんや父親のような
立派で格好いい人間に近づけるよう、
また、ふたりのような
人としての強さやブレない心を身につけ
〇〇家の長男として
引き継いで頑張っていきたいと思います。
おじいちゃん、ありがとう。
 
娘RUKA
おじいちゃんはいつも、家の庭から温かい目で
私たちの成長を見守ってくれていました。
私自身、仕事柄、人を育てると言う立場になり
手を差し伸べるだけではなく
おじいちゃんのように温かく成長を見守ることが
いかにむずかしく大切なことであるかを実感しています。
そんなおじいちゃんのそばで育った私たちは
本当に幸せ者です。
どうか、ゆっくり休んでください。
今までありがとう。
 
 
人前で我が子を褒めることは
恥ずかしいことではありますが、
この時ばかりは
立派に大役をこなしたふたりに感動し
褒めてやりたいと思いました。
 
まだまだ未熟者で
足りないことの多いふたりですが
この経験が、子供たちをまたひとつ
大きく成長させてくれたのかな、
と思います。
 
 
RUKAは、
病床のお義父さんに
いつも沢山お話をしては笑わせて
お義父さんのお喋りにも
最後の最後まで一生懸命に
耳を傾けていたのは彼女でした。
一番泣いていたのもRUKAでした。
 
RUKIは、
男の子だから多くは語りませんが、
亡くなったお義父さんと対面したとき
かなり長い時間、
黙ったままお義父さんの顔を見つめ
お線香をあげたのちも
同じように長い時間、手を合わせていました。
 
RUKA RUKI 、本当にありがとう。
そして、施主と喪主を務めた旦那に
お疲れさまでした。
 
お義父さんには
あのとき、もっとこうしていればとか
ああしてあげればよかったとか、、
そういう思いはありますが、
きっとどれだけのことをやっても
悔いは残るものなのだろうな、と思います。
しかし、前述したとおり
お義父さんは「後悔」を嫌う人だったので
これ以上は、もう言いません。
 
 
最後に
1枚だけ…
お義父さんの若い頃の写真を
載せておきます。
23歳のときだそうです。
 
 
本当にありがとうございました。
今度は空の上から
私たちのことを見守ってやってくださいクローバー