今ではもう殆ど見ることのなくなった
日本の原風景に出てくる藁葺き屋根。
その藁葺き屋根を見るたびに
思い出す男の子がいる。
ようちゃん
私の実家から30分ほどのところに
お母ちゃんが生まれた実家があり、
その実家が、当時、藁葺き屋根だった。
そして、その隣りに
ようへい君の家があった。
小学生の頃、
毎年夏休みになると、私と弟は
そのお母ちゃんの実家の藁葺き屋根に
しばらくの間、泊まりに行かされた。
隣りに住むようへい君は
私と同い年の男の子で…
お母ちゃんたちは彼のことを
「ようちゃん」と呼んでいたので
私と弟も、ようちゃんと呼んだ。
私たち姉弟が遊びに行くと
必ず、ようちゃんがやって来た。
毎日毎日やって来て
朝から晩まで一緒に遊んだ。
同い年だから宿題も教えっこした。
ラジオ体操も呼びに来たけど
それだけは面倒臭かった…。
ようちゃんは
いつも頬っぺたが赤くて目の細い男の子。
見映えはいいとは言えないが
とにかく愛嬌のあるひょうきんな子だった。
でも、何をやっても要領が悪かった。
スイカ割りでも
裏山のカブトムシ採集でも
川縁のザリガニ取りでも
缶蹴りでも縄跳びでも
カッコつけるわりにカッコいいところが
ひとつもなかった。
かけっこなんて
2つ下の私の弟に負かされるのだ。
でも、なんか憎めない、、
あの細い目で、ニハハと笑われると
こっちもニハハと返すしかない。
いつしか、
ようちゃんと夏休みを過ごすことが
毎年の恒例になった。
そんなある年のある日、
ようちゃんが来ない日が2日か3日続いた。
ようちゃん家族が旅行に行ったのだ。
つまんない。
心底、つまんないと思った。
高学年になった夏休み、弟が私に言った。
「ようちゃん、まるるのことが好きだよ!」
(弟は当時から今でも、私を呼び捨てする)
私は、気づいていた。
これは言葉では表現できないんだけど、
好意はなんとなく感じていた。
そして、
私が泣いていると
目の前でわざとずっこけたりする
そんなようちゃんが、私も好きだった。
初恋ではないけれど、
毎年、彼に会えるのがとても嬉しかった。
彼の明るさに沢山笑った。
あまりに陽気な男の子なので
ようへいの「よう」という字は
「陽」なのだろうと勝手に思っていたけど
太平洋の「洋」だったことを後で知る。
中学生になると、
お互いに部活も始まったので
藁葺き屋根の隣りに住むようちゃんと
会うことはなくなった。
それっきりだった…。
高校生になったとき、同じクラスに
ようちゃんと同じ中学の子が2人いたので
ようちゃんがどんな子だったのか
聞いてみた。
そしたら…
その子たちは、大声で笑ったのだ。
「え~~、やだ、嘘でしょ!」
(まるる、友達なの?)という意味。
はっきり覚えないけど、そんな事を言った。
笑いの真意はわからない。
なんで笑ったのか
聞いても教えてくれなかった。
でも、間違いなく
ようちゃんの何かを
馬鹿にしたような笑いだった。
私は、とりとめもなく悲しくて悔しくて
我慢出来なくなって
トイレに入ってこっそり泣いた。
あんたたちは
ようちゃんの何を知っているって言うんだよ。
年に一度しか会わなかった私のほうが
ずっと知ってるよ!
ようちゃんとの思い出ごと否定されたような
そんな気持ちになった…。
何年かのち、
久しぶりにお母ちゃんの実家に行った際
ようちゃん一家は宗教に入れ込み
夜逃げしたとかしないとか?
そんな話を聞かされた。
真偽は定かではないけれど、
空き家になっていた。
ようちゃんはどんな青年になったろう。
仕事はなにをしてるのかな。
結婚したかな、子供はいるかな、
もしかして、孫もいたりするかな。
元気に今日を生きているかな。
ようちゃん、洋ちゃん、洋平くん!
またどこかで会うことがあったら
私はきっと、あなただと気がつく…
そんな気がするよ。
誰の心の中にも、きっといますよね。
転校して行った子だったり
少しだけ塾が一緒だったり、、
で、その後、消息のわからない
ちょっと気になっていた
そんな男の子(もしくは女の子)。
アルバムで写真を探したけれど
ようちゃんと遊んだ写真は
見つからなかった。
母の実家で撮った写真は、これだけ

まだ幼いけれど。
この後ろに、
ようちゃんと遊んだお庭があります。
明日、藁葺き屋根を見に行くので
それを前に、ふと思い出した
まるるの回想ブログでした。
ブロ友ほのはるちゃんの
思い出の人シリーズみたいに
なっちゃったな、

それでは、皆さん、
楽しい三連休をお過ごし下さいね
