私の父は、私が高校に入学してすぐ、脳内出血で左半身麻痺の障害者になりました車椅子





その頃は。

障害者、特に脳障害について、今ほど世間では認知されていませんでした。




だから、私も父は、病院で治療して、リハビリをすれば、多少の障害が残っても、普通の生活に戻れると思っていました。




しかし、父の場合、出血した部分が悪く、あと一ミリでもずれていたら、命はなかったとの事ショック!




命が助かったのは、本当にありがたかったけれど、手術の出来ない箇所からの出血だったため、そのまま薬で様子をみる事になりました。




母は、毎日病院通いになり、私は、学校のある平日にはお弁当を作り、朝食や夕食も、洗濯や掃除も、母が出来ない部分は、出来る限り手伝っていました。




何ヵ月かの入院のあと、自宅に戻った父は、昔はバリバリの体操選手で、全国一になった人だから、自分の体が以前のように思うに動かない事に苛立ち、塞ぎ込むようになりました。




医者からも勧められたリハビリも、なかなか始めませんでした。




後から知ったのですが、麻痺になった場合、なるべく早くリハビリで動かすようにしないと、後遺症がひどくなるそうです。




自宅に戻ってから、一年経つか経たないかくらいになって、病院から富山のリハビリセンターを紹介され、父は思いきって、そこでのリハビリを決意しました。




数ヵ月後、私は母と一緒に電車電車で、富山のリハビリセンターへ父のお見舞いに行きました。




すると、一人で立つ事も出来なかった父が、杖をつきながら、一人で歩いて、笑顔で出迎えてくれましたキラキラ




私と母は、ビックリショック!



でも、あの時の父の笑顔や立っていた姿は、今でも忘れられませんしょぼん





リハビリを終えて、再び父は、自宅に戻りましたDASH!




ココでトラブル発生注意



二階へは上がれなくなった父は、和室で過ごしていたのですが。。。




トイレや風呂場には、手すりを付けましたが、家中には取り付けは不可能です台風




しかも、病院やリハビリ施設とは違って、家には、あちこち段差があります。




今でこそ、バリアフリーが一般化されましたが、その頃には普及されてもいないし、なにしろ家族が障害者になるなんて予想して家は建てませんからねガーン




父の動ける場所は、制限されましたダウン




そして、動く時には、必ず母がサポートしないと無理でした汗




そして、何より父を苦しめたのは、我が地域の寒暖の差の激しさですドンッ




夏は非常に暑く、冬は雪国のため、かなりの冷え込みようしょぼん




その気候の変化の激しさが、父の体には、かなり堪えたようで、リハビリの成果は失われてしまいましたダウン




今では家を増築して、父の部屋を作り、車椅子車椅子で過ごしています。




年齢と体重のせぃもあり、母がサポートしても、今は杖をついて歩くのもフラフラして、危ない②ショック!あせる





こんな父でも、左半身麻痺だったため、言語はしっかりしている事が救いでしたキラキラ




営業マンで頭もキレた父は、今でも市役所の会議に呼ばれたり、脳障害者団体の会長をしたり、祖母の入園している施設の家族会の会長をしたり、
以前勤めていた会社の社長から、会社の視察や相談役を頼まれたりと、人に慕われ、忙しいながらも、充実した毎日を送っているようですひらめき電球




そんな父を、私は尊敬し、誇りに思いますニコニコ



だけど最近、そんな父が弱音を吐くようになりましたガーン




日々の痛みの激しさ、年齢による身体の衰えや、物忘れも多くなり、先は長くないだろうと。。。




私は、父に支えられて、今は自宅療養できている身だし、何より父が大好きなので、不安で悲しくなりますしょぼん




毎日、叱咤激励してくれていますが、自立できない私に、かなりの心配があるのでしょう。




優しい父ですドキドキ





今の私に、何が出来るのでしょうか?





☆リボン☆