今回は根本的な塾の定義を私なりに解釈したいと思う。

まず、世界で塾のある国は日本と韓国くらいである。

どちらも学歴社会の国家で、ブランド校への入学をかなり重要視するお国

柄である。そこで、少しでもランクの高い学校に入学するためのサポート機

関として塾が存在する。しかし現在日本では一部の超難関校(大学でいえ

ば旧帝大、中高でいえば開成・灘等)以外、ブランドバブルがはじけ(特に

私学)、大学に至ってはほぼ全入時代を迎えている。選ばなければ大学卒

業まで自力でなんとかいけるものである。また、規制緩和による外資系の

参入により、学歴が本来持つ意味も低下し、本当の意味での実力社会にな

りつつある。


前置きが長くなったが、私は塾とは、本来学校と家庭で習い学ぶはずの内容

をアウトソース(外注)する機関だと考える。家で本来作る筈の料理を外食する、

ヒーターのフィルター清掃を業者に任せる。そんなイメージだ。


しかし、どこまでを塾に任せるか?各ご家庭の状況により異なるであろう。

私はもし中立的な立場で、塾に通うと成績が上がるか?通わせた方がいい

か第三者に聞かれたなら、「その子と塾の相性による」としか答えようが無い。

塾に通ったからと言って成績が上がるとは限らず、逆に下がるケースもある。


もう少し脱線して「勉強」の定義について言及したい。

勉強とは、わからないことがわかる過程であり、ひいては

どこがわかってないかを自分で確認する作業だと考える。


机に何時間向かおうが、何枚書き取りをしようがこの意識が欠けていては

効率は極めて薄い。基礎事項の修得(九九・文法の活用・元素記号等)

は機械的にでも覚える必要があるが、問題を解いて、間違えた問題で

どこが間違えたか、自ら意識できる状態にならなければならない。


塾に通っても、ただ通うだけ、ノートに写すだけ、頭はぼんやりして

手を動かしてるだけなら寝ている方がましだと私は考える。

「塾に通うことが目的」になってしまっている。

床屋は座っていたら勝手にカットしてくれるが、予備校は座ってるだけでは

何もならない、とは代々木ゼミナールの吉野講師の言葉であるが、

実際その通りである。


結論を言うと、塾に通うより勉強の習慣付けがはるかに重要である。

塾で勉強の習慣は身につくかって?人にもよるが、大半は無理でしょう。

それは、家庭での教育やよき師との出会いに強くかかっている。


勉強の習慣付けについてはまだ別の機会にお話したいと思います。