紬を立ち上げてからも…その前からもなのですが…

発達障害があるが数値が高くて療育手帳が取得できない。
だか、特性ゆえに定型として生きる、生活することがとても難しい。
でも、そうせざるおえない。
そんな子たちがかなり多くいます。
最近は特に、療育手帳の取得がどんどん難しくなりなかなか手にすることが難しくなってきました。
これまで持てていたのに更新できなかった。
明らかに困難さが多くあるのに取得できなかった。

なぜそんなに療育手帳が必要なのか…
発達障害は医師の判断で精神障害者福祉手帳の申請を行うことができます。
ですが、療育手帳は家庭センターや療育センターで検査をしその数値が85以下であれば取得ができます。
それ以上であればほぼ取得はできません。
近年この辺りも判断が厳しくなったようです。

支援学級は療育手帳がなくても情緒学級に入ることはできますが、支援学校は療育手帳がなければ原則入学はできません。
ですが、発達障害の多くの子どもたちが支援学級ではなく、支援学校で学んだ方がいい子がたくさんいます。
療育手帳がなく、小学校、中学校で支援学級に入れていてもその後高校に関しては通常の学校や通信、定時制などにいくことになります。
でも、この子たちに最もつけてあげないといけない力はそこではありません。
多くの子どもたちが、定型で進む又は支援学級にしかいられないことで、学校に行かなくなったり心が折れてしまいます。

一度、折れてしまった心はなかなか元に戻すことはできないのです。
また、問題なく進めたとしても、社会復帰できても乗り越える力を(社会性、療育)つけていないので、また壁にぶつかり超え方がわからないのです。
一度折れた心を戻すのは何年もかかります。

時々、教員の中でも『もったいないまだいける』と訳の分からない何を根拠にどこに行こうとしてるのか?と思うような無責任な発言をする人もいます。
その言葉を信じて進み子供がその後大変な思いをしていることを知らないのです。
どれほど、みなさんの後悔の言葉を聞いたことか…
判断したのは自分達だと言われるかもしれませんが、藁にもすがる親からすれば先生方からのその言葉を信じるしかないのです。

そして、医師の中にもとんでもないことを言われる方もいます。
手帳とれない、支援学校にいっても重度しかいない、物足りない、もったいないなどなど…

実際にその目でいつ見られましたか?

こう言われた多くが、療育手帳を取得できたり支援学校へ行き、生き生きと生活している子が多くいます。
そしてなにより、支援学校は軽度から最重度のお子さんが比較的均等にいます。
一人一人に支援計画を立てるのでその子にとって社会に出ていく為に必要な力を計画的につけていきます。
障害の種類や程度がそんなにいりますか?
どんな子でもみんなが平等に関わり合える社会が必要なのではないでしょうか?
同じように障害を持つ物同士が助け合い生きています。
みんなとてもキラキラした目で生活していますし物足りないなんてことはありません。

多くの保護者がこのあたりも実際を知らず子供に無理をさせたり、受け入れられずもがいていたりします。

数値が高く療育手帳がなくても支援学校に入る権利を!
診断名や精神障害者福祉手帳で支援学校に入学できる権利を!
そして、それぞれがきちんと学び正しい声かけができる社会を!

ハンデのある子供たちは、当たり前に助け合えるのになぜ?定型の人たちはそれを拒むのか…
そして、当たり前に人と人が手を取り助け合える社会を作れないのか?
いつも悲しい気持ちになります。

障害のある子供たちは、幼い頃からきちんと必要な場所で必要な力をつければ大人になり社会に出る頃にはある程度社会に適応していけるのです。
わけるなとか差別だという方もいますがそうではありません。
必要な場所できちんと学び力をつけるからこそみんなと変わらないように生活する力をつけるのです。

親側もまた、しっかりと現実から目を背けず向き合い大人になった時に少しでも自立ができる力をつけていき、社会に馴染めるように共に乗り越えていく姿勢もまた大切です。
勉強だけができても何の意味もなし得ません。
これは、定型の方々にばかりこちらの想いをぶつけるのではなくしっかりと理解が得られるように我々もちゃんと努力することが必要なのです。

様々な機関も大切なのは、
何のために?どんな力がつき?将来何の役に立つのか?ここを忘れてはなりません。
たださせるのではなく、生きていく、働く、社会に貢献するためにはどういうマナーやルールを守り、できる力を伸ばすのかここが幼い頃から大人になっても必要なのです。

同じ志の方がおられればぜひ、共にこの声を届けてください。
今困っている子たち、大人たちがたくさんおられます。