日本が生んだ世界的指揮者の小澤征爾さんが亡くなったという訃報が世界を駆け巡った。88歳の生涯だった。クラシック音楽ファンのみならず、幅広い人々のなかにその名は届いていたと思う。連日小澤さんの偉業やエピソード、偲ぶ言葉を各界の著名な人々が話し惜しんでいた。そこからは、世界的存在者としての孤高の姿はなく、気さくで豪放磊落な親しみやすい、誰とも平等に接する人柄を彷彿とさせる。 

 

 今にして思うのは、一度も生の演奏で指揮されるコンサートに行ったことがないことを残念に思うが、かつてテレビでニュー・イヤー・コンサートでウイン・フィルを指揮していた場面を思いだす。作家の村上春樹さんは新聞に寄稿文を寄せ、見えざる小澤さんの努力ぶりを寄せていた。「夜明け前の数時間が好きだ」と。人々がまだ眠りにある時、一人楽譜と向き合い、静かに音と確かめるのだそうだ。惜しみてあまりある友人の別離に悲しみを抱きつつ、もはや肝胆相照らすことのない今、残された「音」で偲ぶしかないと村上春樹さんは哀嘆する。 

 

 小澤さんは、日本の名指揮者であり音楽教育者でもあった斎藤秀雄に指揮を学んだことはよく知られているが、その後海外に移動し、レオナルド・バーンスタインやヘルベルト・フォン・カラヤンからも学び、腕を磨いた。多くの世界てオーケストラの指揮をとり、斎藤亡き後の日本のオーケストラを率い、セイジの名を残している。 

 

 社会の動きにも注目し、丁寧に自分の意見を発していた。何よりも音楽界にまいた種は多くの後輩たちが引き継ぎ育てているのは頼もしい限りだ。音楽は腹を満たすことはできないにしても空いた心にそっと易しい風を送り、打ちひしがれた人々を明日に向かわせる滋養があるものだ。人は金と出世だけを求める卑しい人もいるが、フッと我に返らせるかもしれないご馳走でもある。 

 

 札幌には毎年開かれる「札幌国際音楽祭」(PMF:パシフィック・ミュージック・フェスティバル)がある。市内の真駒内の野外ステージに世界から選抜された若い音楽家が演奏と指導をうけるPMFはバーンスタインが誘致した。世界三大音楽祭の一つと言われる。小澤も指導者としてバーンスタインとともに参加している。 

 

 日増しに哀悼の声が広がる中、教えを乞うた人びとが大きな遺産を次の若い人々に受け継いでいくに違いない。一介のクラシック・ファンにすぎないが哀しみと寂しさを禁じ得ないのである。

2024年2月11日記