大相撲1月場所も中日終盤に向かい、優勝争いも限られるようになってきた。土俵で仕切りをし、しこを踏んで相手と呼吸を合わせる。緊張の一瞬である。呼吸が合えば一気に勝負がつく。しかし、なかなか息が合わずに何度もやり直す場面もよく見る。次第に紅潮する力士の表情は制限時間いっぱいまでにらみ合う。観衆も惜しみなく拍手で応援する。「あ・ん」の呼吸は、言葉がなくても意思の疎通ができており、タイミングや間合いがお互いに一致して立ち上がるのである。 

 

 いろんな場面で使われる「あうんの呼吸」は特段スポーツに限らず、私たちの日常生活の中でも用いているのではないか。この言葉何処からやってきたのか。言葉はよくしっていたのあが、意味を知るようになったのはずいぶん後のことだ。

 

 奈良大仏殿の正面入り口に立つ大きな仁王さんを思い出すのだが、関西人の私は、しばしば京都や奈良を訪ねては由緒ある寺や庭園を見て歩いた思い出がある。とりわけこの「阿吽像」という巨大な仁王像には一種の畏敬の念をもってくぐったものである。 

 

 この作品は、奈良東大寺大仏殿の正面入り口に立つ南大門の東西にあり、像の高さは8.4mもある。今から830年前、鎌倉時代の前期にあたる1203年(建仁3)に僅か69日で完成した巨大な「南大門金剛力士像」である。仏師の運慶、快慶の親子のほか、弟子の湛慶なども加わって作られた。片や「阿形像」、対峙するのは「吽形像」だ。大仏殿を訪れるときは、必ずこの南大門をくぐり、阿形像と吽形像から睨まれて入るのだ。 

 

 この「あ」と「ん」の謂れは、仏教教用語の「真言」にあたるそうだが、語源はサンスクリット語(梵語)であり、インドから中国を経て日本に伝わったとされている。サンスクリット語では「阿」が1文字目、「吽」が最後の文字であることから、「阿吽」は万物の始まりと終わりまでを象徴する言葉だといい、また口を開けて発声する「阿」に対し、「吽」は口を閉じて発声することから、息の出入りを表す言葉でもある。人生の一生を言い表しているのではないか。    そういえば日本語は「あ」から始まり「ん」で終わっているのも関係していると思う。日本には「あいうえおの郷」があると聞いたことがある。 

 

 普段私たちが何気なく使ている言葉の意味を少し掘り下げてみると、なかなか面白いものである。またひとつ知識を得たのである。退屈しのぎの一コマとして。             2023年1月22日記