シューベルトのカルテット(弦楽四重奏)
冒頭のイメージからの命名なのでしょうか?
弦楽四重奏 全四楽章
(ファーストバイオリン セカンドバイオリン ビオラ チェロ 四人の演奏)
だけで この重みのある曲
なぜ 乙女 と 死 が つながるのか?
のちほど調べてみますが
調べました
シューベルトのご紹介 Wikipediaより
- 生年月日:1797年1月31日
- (死と乙女は1824年作曲)
- 死没:1828年11月19日
- 死没年齢:31歳
- 身長:156 cm
フランツ・ペーター・シューベルトは、オーストリアの作曲家。各分野に名曲を残したが、とりわけドイツ歌曲において功績が大きく、歌曲の王と呼ばれることもある。
弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D810は、フランツ・シューベルトが作曲した弦楽四重奏曲。作曲者が健康の衰えを自覚した直後の1824年に作曲された。なお、第2楽章が自身の歌曲「死と乙女」を引用していることからこの曲も『死と乙女』と呼ばれている。
では 一楽章と二楽章
YouTubeでの演奏聴いてみて下さい
一楽章
二楽章
一編の詩をご紹介させていただきます
春が来て花が咲き、やがて実を結び、
そしていつか葉を落して枯れ朽ちて土に戻るように、
自然の廻りに従って人は老いに入っていった。
特別に身構えも覚悟もいらなかった。
それが人間の自然であるということを
誰もが一様に知っていて、それに従った。
長寿がめでたいのは、長く生きたことによって
自然に枯木になって死んでいけるからであろう。
エネルギーが涸れれば、執着も自我も怨みも妬みも、
そして死への怖れも枯れていく。
「煩悩の解脱」など、
我々凡人には肉体が枯れる以外にそうた易く出来るわけがないのである。
我々は長寿を与えられた。それでいてなかなか枯れない。
死は悪であるかのように拒否されている。
近づく死を近代科学は総力を挙げて押し返す。
その力に頼り、縋ることによって
我々は死と対峙することを回避し、引き延ばす。
「人間というものは、どんな状態に陥っても生きつづけたいと思うものだ」
と医師は信じている。そしていう。
「人はどこまでも生きようという意欲をもたなければいけません」
しかしそれでも尚、死はやはり、やってくるのである。
『ああ面白かったと言って死にたい』佐藤愛子
最後に 歌曲 の 死と乙女
『死と乙女』(しとおとめ、Der Tod und das Mädchen)作品7-3、D531は、フランツ・シューベルトによる歌曲(リート)。詩はマティアス・クラウディウスによる。病の床に伏す乙女と、死神の対話を描いた作品。
乙女は「死」を拒否し、死神に去ってくれと懇願するが、死神は、乙女に「私はおまえを苦しめるために来たのではない。お前に安息を与えに来たのだ」と語りかける。ここでの「死」は、恐ろしい苦痛ではなく、永遠の安息として描かれている。ドイツでは、昔から「死は眠りの兄弟である」とよく言われており、ここでの「死」も一つの永遠の安息として描かれている。
追伸
新しい年の初めですがこの曲
死と乙女 を
なぜどうして
こんな暗い曲をご紹介したのか
思い出したのか
実は昨年12月に母が亡くなりました
佐藤愛子さんの書かれた詩の様なお迎えでした
改めた思いの中で
シューベルトのこの曲を聴いております
葬儀の際、楽団員の皆様から献花を賜りました
本当に有り難うございました