過渡期。 | 言葉と音で綴る 素敵LIFEダイアリー from 神戸

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言葉や音に思いをのせて。
心を、毎日を豊かに。

これまでピアノから学んできたことや、日々の気づきなどを綴っています。

4月が終わろうとしている。

無我夢中で駆け抜けた

1ヶ月だったと思う。


とはいえ、仕事の予定は、

先々まで入ろうとしている中、

今年は2年ぶりに

7月に音大時代の恩師を囲んでの演奏会が

行われることになっており、

ピアノの方も今回ばかりは

なんとかしないといけない。

特に、課題は暗譜である。


4月から新生活に入って、

ピアノの練習は

土日の休日しかできていない。

こんな状況で、

シューマンのピアノソナタ第3番を

人様の前で暗譜で弾かせていただくだなんて、

なんて恐ろしいことだろうと

思えてならない。


「継続は力なり」という言葉は、

本当だと思う。

1日2、3回だけでも通し練習を

していれば、

それだけでもメンタル的には

今よりはもう少し

安らかでいられるのかも知れない。

前回の練習から

5日間丸々空いてしまうと、

指が動きを忘れてしまっているし、

指のまわり具合も、

30分ほどは指ほぐしのための時間を

設けないと弾けなくなっている。


暗譜は、年明けから3月末を目途に

必死でやった。

でも、頭の記憶から

音がポロポロとこぼれ落ちていく。

ただでさえ暗譜が苦手なのに、

わたしにとってシューマンは

好きな作曲家であるけれど、

特に覚えにくく、

弾きにくい作曲家でもある。


元々感覚人間だったわたしは、

学生時代、

主に体の感覚で暗譜していた。

まるでコピー機のように。


なんにも考えなくても

体が勝手に動くまで

何度も何度も弾き、

弾きに弾いて、弾き込む。


それだからか、

頭があるとき急に

真っ白になってしまったら修復不可能。

立て直しが非常に難しい状況に

なってしまう。

楽譜の分析が甘かったのだ。

それがゆえ、「譜面」が

論理的に頭の中に入っていなかったのだ。

しかも、弾き込みが足らないと、

本番当日、不安で不安でたまらず、

自滅・自爆してしまう。


今は、感覚に頼る暗譜は

物理的に不可能だし、

年齢的にも論理的にやらないと

暗譜できない年齢になったと、

つくづく感じている。

もしかしたら、

順番を逆にすべきといった方が

いいのかも知れないし、

本当は学生時代だって

そうしたほうが良かったんだと思う。

楽譜を論理的に分析し、

譜面を頭で理解して、

音をきちんと把握して、覚えて、

体で、耳で、目で、指で、覚えていく。

体が勝手に動くようになるまで

弾き込む。


今は、体が勝手に動くようになるまで

思う存分弾き込む時間が

取りづらいのが

辛いところではあるけれど、

練習期間を長くすることで、

「長期記憶」させ、

体に定着させていく作戦で

取り組んでいる。


そして、今日、

客観的に演奏を直視するために、

録画してみた。


録画してショックだったのは、

演奏よりも自分の「見た目」だった。

昨年の夏も、

録画した際、映像に映る自分の姿と、

いつも鏡で見ている自分の姿に

乖離があるように感じて

ショックを受けた。


思えば、今年は

30代最後の年である。

アタマも体も年相応になっているのだ。

「今までと一緒」は、

もう通用しないのだ。


ピアノの練習も、

集中力・体力がもつのは、

通して2時間が限度。

それ以上練習しようと思ったら

インターバルが必要になった。

ますます無茶が効かなくなった。


逆に年齢とともに

10代や20代の頃の自分よりも

経験を重ねた今だからこそ、

できるようになったことや、

身につけられたこともある。

知恵を働かせて、

乗り越えようではないか。


「見た目問題」はーーー、

最近、ヨガとか筋トレが

ご無沙汰になっているので、

ちょっとずつでも運動しようかな。。


暗譜「でも」、

ちゃんと準備してきたものが出せる

演奏がしたい。

そして、恩師の笑顔が見たい。

恩師の笑顔が見られるように、

後悔のない演奏ができるように、

残り2ヶ月強、

準備していきたいと思う。