
畜妾届は、明治3年に発令された
『2号さんも届け出れば法律上2親等として
地位を認める。』という法律。
発令後の15年後に廃止されたが、
華族に限ってはその後も『畜妾届』を出すことが
義務付けられた。
明治初期、新しい時代が始まったとはいえ、
まだまだ江戸時代の残り香がちらほらと。
その一つがお妾さん。
江戸時代までは、上流武士や富裕な商人では
お妾さんがいるのが当たり前で
これは医療技術が進んでいなかったことから
生まれた子供が無事に育つとは限らず、
ある程度成長したとて
ケガや病気で命を落とすこともあり、
自分の跡継ぎを絶やさないためにと
考えられていたからなんでしょう。
豊臣家を継いだのは、側室の子だった秀頼公。
徳川家康には、16人の子供がいて
正室の子は2人で、後の14人の子は側室の子。
で、徳川家康の次の将軍になったのは、
側室の子の秀忠公。
何も天下人に限らず
上流武士も富裕層も跡継ぎが
途絶えさせないために
正室の他にお妾さんを囲っていたようです。
お妾さんの子であろうが
2号さんの子であろうが
何の問題もなく天下人の跡継ぎとして
選ばれていますから
今のお妾さんとか2号さんへに持つ
日陰者的なイメージとは全く違う感じですね。
なのでかつての日本は、
一夫多妻制が認められていたし
受け入れられていたと考えた方がしっくりくるかと。
第2夫人、第3夫人的な感じかな。
そのような風習が明治になって
次第に変わってきたのは、
西洋文化に追い付け追い越せで採り入れた
西洋文化や価値観に頑張って合わせていったか、
倣ったのか、時代の流れに流れていったのか、
お妾さんは、刑法では明治13年に、
戸籍法では明治19年に無くなり、
明治31年の民法によって
一夫一婦制となるに連れてお妾さんには
日陰者のイメージが生まれてきたのかも。
以前に一夫一婦制と一夫多妻制の
メリットとデメリットについて調べたことを
書かせて頂いたと思いますが、
今の時代は、有名人の不倫が発覚すると
まあ袋叩きになるのが普通です。
(ならない人もいるのが面白い。)
私なんかは基本、
不倫をした人の善悪については、
許すも許さないのも
どちらでも当事者が決めたことが正解かと。
ただあの人とあの人がね。
へぇ~そうなんだあ。
というように野次馬根性的に
耳目が向くだけなんですよね。
でもまあ執拗に叩いている第三者は、
それだけ裏切られたという想いが強いのかと。
誠実さとか常識人とか爽やかさとかを
前面に押し出して
周囲を魅了する武器にしていた人は、
それによって巻き込まれた第三者は、
もう片足当事者な感じなので数多くの人から
強烈に叩かれるのも致し方ないかなと。
そのような毒気が無いというか、
キラキラと輝く透明な水のような人って
そうそういないからこそ
装えば注目を集めるし。
売りになるのだと思うのですが、
やり切れなかった時の反動が怖い。
怖がりの私なんかは、
汚れの部分を知られておく方が怖くないので
毒気をちょろちょろと見せるように
心がけています。
お妾さん、側室、2号さん等の
価値観、風習の変化が
良かったのか悪かったのか、
医療技術が進歩を遂げた現代においては、
それでよかったんだと思ってはいますが、
後は医療技術の進歩に
精神が追い付くかとなりますが、
エジプトの何千年前の壁画か何かに
『今の若者は~』と嘆いている言葉が
あったようですし、
何千年前に誕生した宗教が
現代においても必要とされているように
精神の進歩は、自然に任せていると
科学の進歩と比べて
かなりゆっくりとしたものかもね。
催眠療法&心理療法
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