インスタグラムの方にはよく書いて

いるのですが、最近龍体文字に付いて

勉強していまして

 

文字の意味だけでなく

日本においての言葉の成り立ちなど

少し視野を広げて学んでいると

日本人の意識の中の世界と言語と社会とか

現実的な部分の繋がりや、日本という国

日本語の面白さに触れて興味がどんどん湧いてきています

 

今深い部分までは触れてないまでも

 

たまたま昨日、都市伝説系のユーチューブで

有名人ですが、ナオキマンさんが同じく

日本人、日本語って実は凄いという話をされていて

 

これはこれで面白くて15分くらいの動画なのですが

よかったら。

 

 

 

ご覧なったと仮定して話を続けますね

 

言語と右脳左脳の構造で

 

一体化できる日本人と主語の必要性と客観性を帯びた

その他の言語文化

 

実はファッションは、後者の、主語、私、から

来ていると思います。

 

ファッションの構図は

1人称では自己満足。自分で来たものを自己満足で

SNSに載せているのは視聴者というものがいるので

2者間の2人称が発生します。

 

ファッションはですので、ごく稀なケース以外は

他者の存在というのが必須なんです。

 

他者を考えながら、、被らない水着を着たい

逆に

ドレスコード、というのを持って統一感を持たせたい

というのも、私以外というのが意識の中にあります。

 

ですので、右脳左脳と別に考える言語から

ファッションというのは発展して加速したのかなと

考えます。

 

ファッションというのは本当に最近できた言葉ですから

 

では、日本人はファッションは無かったのか?

 

日本人の意識の中にあるのは「洒落」なんです。

これは逆に1人称なんですよね。

 

自分の中で完結する「粋」なんです。

自分の中でイカした部分、他人の存在というよりも

自分というものの主張。

 

それが、形として、行動として、気持ちとして

「察する」「相槌」日本人独特の阿吽というもの

が日本語の一体化から気持ちを汲み取るように

行動できる民族としたら

 

日本人は「ファッション」より「洒落」を

追いかけた方がいい。

 

ナオキマンが動画でいう、風呂敷文化

海外のものも、一旦自分の中でカスタマイズして

上手く自分の文化に適応する上手さは

日本人は得意ですから

 

僕としてはこのランジェリーというものを

自分の粋な部分、洒落た自分として

他者を気にしないで、楽しむモノとして

 

日本人女性の中で楽しんで貰えたらいいなと

思っています。

 

ランジェリーって見せ合って、他者を気にするものではないから

ランジェリーのコレクション、ランジェリーそのものは

ファッションとして提唱しますが、取り込むこちら側は

 

あくまでも自分本位でいいんです。

 

なかなか伝えるのも難しい部分なのですが

 

時間かかりますね、先は長い。。。。

 

 

マリー六本木は10年目、神戸マリーの会社としては38年

私のランジェリーキャリア18年目になります。

アメブロはキャリア4年目の30歳の時に始めました

2010年ですかね。14年。

 

まだまだ先は長いです、ランジェリーお探しの方、ランジェリーそのものを知りたい方などなど

是非何かお力になれれば幸いです。

 

JUN