遺影に飾る供花の枯れが早くなった。

室内外に関わらず既に夏の気温になった。

植物も人も同じツラさを味わう事を知る。

枯れた花をにみて感謝を思う今日この頃。

 

 

本日の金言

昭和世代なら腑に落ちる金言。

何時の世もこの覚悟が失われませんように。

 

 

家と職場の往復の日々が長年続いている。

帰りに立ち寄る立ち飲み屋くらいが唯一の息抜きか。

翌朝には直帰を誓うのだが、夕刻にはその誓いを忘れる。

三つ子の魂何某とあるがこの習性はおそらく治る事はないだろう。

 

以前から自身の食に対する執着心が無くなっている事に気付いている。

一応職業柄栄養が偏らない様には気を付けているが

週のうち食べるものが殆ど同じものが続いている。

それが外食であっても自炊であっても同じルーティンになっている。

 

若い頃から食に関わる仕事に就いていた事もあり

わりと彼方此方と話題のお店に出向き食してきたと思う。

今で言うお一人様でのお店巡りも平気だった。

その名残というか置き土産が今の体格に表されてる。

 

SNSなどのネットで色々なお店の料理を見かけるが

一見美味しそうに思うのだが食べたくなる気持ちが起こらない。

それが街中華であってもちょっとした高級料理にしても。

ひと昔前の自分からは想像もできない変わりように驚いている。

 

新しいお店を開拓したり話題の料理を食べたい気持ちがなくなった事に

別段残念さも侘しさも思わないが、食に興味がなくなったのはいつからだろう。

あの好奇心旺盛な頃からは信じられないくらいに思うようになった。

人はこうも変わるものだという事を食に対する興味が無くなった事に思う。

 

 

実は食に限った事ではなく少し前までに興味や好奇心を持っていたものに

食指が動かなくなった自身がもう枯れ始めているのだと思う。

人生100歳時代などと適当に無責任な言葉が横行している。

この世に生を受け、いつか週末を迎える事に他人が口を挟む不愉快。

 

国や行政に従って素直に生きる事がそれほど偉いのだろうか、など

相変わらず捻くれている性格だけは枯れてなさそうだ。

昭和が遠くなるにつれて頑固ジジイになる事に夢見ていた私は

ただの捻くれた天邪鬼として厄介者にされるのは目に見えてる。

 

 

食も楽しめない人間が人生を楽しめる訳がない、が

今は仕事に生き甲斐を持てる事だけは幸いだと思う。