深夜から早朝にかけての雨音に

漸く梅雨らしさを感じる早朝。

例年に比べ傘を使う頻度は少ないが

短いと言われる今梅雨を味わう今日この頃。

 

 

 

本日の金言

暇な日が続く六月だったが気持ち折れる事はなかった。

自身の中に変化を感じている。

 

 

 

午前中に半年目の月命日参りに彼女の実家へ。

自ら心友と読んでいた友たちもお参り下さった。

友達と呼べる人のいない事に不自由を感じる事はないが

彼女の心友たちとの心の繋がりには思う事はある。

 

仕事の帰りに立ち寄る酒場には仕事終わりのサラリーマンが

同僚や上司、部下などと賑わう光景に出逢う。

聞くともなく聞こえるその内容の殆どに同感する事はない。

下らぬ愚痴や悪口、他愛のない世間話に花を咲かせている。

 

それを軽蔑したり悪く思う事はないし、それがストレス解消ならば

大いに日頃の鬱憤を晴らし、明日からの仕事を頑張っていただきたい。

テレビCMだったか、この世界は誰かのおかげで成り立ってる、と。

酔いどれのサラリーマンたちも素面の時はきっと頑張っているのだろう。

 

 

この半年間は正直迷走に近い日々を送っていた。

何事も目標が定まらないと前に進めない性質故、

昨年末にそれを失ってからは次のそれを見つけられずにいた。

まさに出口が見つからない焦りと諦めの中の半年だった。

 

もし彼女が生きていたならば何をしていただろう、かと

何かの拍子で思う事があり、暫くその事を考えていた。

今際の際に彼女と話せた会話の中に、思い残す事はもうない。

ただ、お義父母さんの世話が出来ない事が心残りだった、と。

 

おそらく義父母の事を私に託した訳ではなかっただろう。

が、未だ彼女の死を悲しむ義父の寂しそうな姿を見る度

自身の哀しみより以上のツラさを抱える親の姿に

私が出来る事が見えてきたような気がしている。

 

 

先日神大医学部に検体の申し込みを済ませてきた。

終活という身辺整理も徐々に始めだしている。

今まで周りに迷惑を掛けて生きてきた私に出来る事は

人生を終える時まで誰かのためになる事に努めるつもりだ。

 

自身の生活の事で目一杯のくせに、と思いながらも

そうする事で人生にハリが持てるような気になっている。

明確な目標ではないが、彼女が思い残した義父母の事だけは

彼女の代わりには成れないなりに尽くしていこうと思う。

 

 

落ち込みながらも卒寿を迎えた義父、認知症を患いながらも明るい義母。

彼女の分まで長生きしていただき、楽しく過ごせる時間のお手伝いをする。