あの日以来、渡邉さんと顔を合わせる度に胸の鼓動を
 強く感じるようになって、自分でも何故かわからない


 なんというか、渡邉さんを見ると
 不思議とドキドキしてしまう


 由「すきじゃないすきじゃないすきじゃない...すきじゃ...」

 夏「小林さーん」

 由「.......っ、か、夏鈴ちゃん!?」

 夏「どうしたんですか?怖い顔して」

 由「いやっ、別に...夏鈴ちゃんなんでここに?」

 夏「え、一緒にご飯食べましょうってさっき声かけたじゃないですか」

 由「あ、あれ?そうだっけ....」


 食堂の隅の席に座って頭を抱えているといつの間にか
 目の前にいた夏鈴ちゃんに声を掛けられて
 ハッと飛びかけていた意識が戻る


 よいしょ、と呟いてテーブルにカツ丼が乗った
 トレーを置く


 夏「いただきま.......?小林さん食べないんですか?」


 さっきからコンビニのおにぎりを握りしめて
 ぼーっとしているわたしに不思議そうに
 問いかける夏鈴ちゃん


 由「あ、食べる食べる。いただきます....」

 〈あ!理佐さん!〉

 由「ぐふっ、」

 夏「ちょ、大丈夫ですか!?」


 理佐さん。という単語に喉を詰まらすと驚いた
 夏鈴ちゃんが慌ててわたしの隣に来て背中を
 摩ってくれる


 由「ごほっ、ごほ、ご、ごめん、ちょっとお米が.....」


 そう言いながらちらっと夏鈴ちゃんの方を見た時
 彼女越しに渡邉さんを見つけてすぐに視線を逸らした


 夏「ほんとですか?」

 由「う、うん.....か、夏鈴ちゃん、早く食べないとお昼終わっちゃうよ...わ、わたし用事思い出したから先行くね」


 残りのおにぎりを口に詰めて水で流し込む


 夏鈴ちゃんにそう告げて、
 逃げるように食堂を後にする


 幸い、渡邉さんには見つからなかった



 ────────────────────────



 由「ふぅ」


 トイレに来て鏡の前で化粧直しをする


 鏡に映るのは疲れた顔をしてる自分


 由「....やだやだ、なんでわたしあの人のこと意識しちゃってるんだろ」


 ぶつぶつ呟きながらリップを塗る。そこへ


 〈理佐さんって最近ますます美人になってない?〉

 〈えー!わかる。元から顔良かったけど最近さらに良くなったっていうか〉


 3人組の女性社員が入ってくる


 3人はわたしを見るなりお疲れ様です、なんて言って
 会話を続けた


 〈そういえば知ってる?理佐さん、最近恋人できたらしいよ〉

 〈うそ!ほんと!?〉

 〈そうみたい。この前モデル並の美形の人と手繋いで歩いてたらしいよ。しかも次の日首にキスマ付いてたって〉

 〈うそ〜.....萎えるなぁ〉

 〈まぁあの理佐さんだもんね、恋人ぐらいいるでしょ

 〈てか理佐さんって面食いじゃん?前の恋人もモデルやってたらしいし?勝ち目ないって〉


 呑気にそんな話をする彼女ら


 背の高い人。首元のキスマ。前の恋人


 全部わたしの知らないこと。
 彼女らはいつの話をしてるんだろうか


 自分の噂話じゃないと安心した反面、
 少しのモヤモヤが残る


 火のないところに煙は立たない


 何かしらの根拠があって
 そんな噂が流れているのであれば


 それは一体なに?



 ────────────────────────



 その日は渡邉さんに見つかる前に会社を出た


 仕事を終えて爆速で帰る支度をするわたしを見て
 ひかるが "由依さん、今日合コンでもあるんですか?"
 って言ってきたけど無視してとにかく急いで出た


 "由依ちゃんお疲れ様"
 "一緒に帰ろうと思ったんだけど"
 "もう帰っちゃった?"


 会社を出てから数分後に渡邉さんからそんな連絡が
 来たが既読をつけることなく携帯を
 ポケットの中に入れる


 由「.......絶対好きじゃない」


 渡邉さんの顔が過ぎってはそう口にする


 そうでもしないと、彼女のことを好きだ、と。
 認めてしまいそうで


 それだけは避けたかった。彼女のことを好きになった
 ところで苦しい思いをするのはわたしだ


 そもそもの話、わたしは彼女に
 釣り合うような人間ではない


 由「....よし、大丈夫」


 浮かれそうになる気持ちを必死に抑える



 ────────────────────────



 渡邉さんと話さなくなってもう1週間が経つ


 原因は恐らくわたし。渡邉さんを見てしまうと
 どうしてもドキドキしてしまって。自分の気持ちに
 気づいてしまわないようにと、彼女を避けてしまった


 そんな日々を送っているとメッセージも来なくなって
 最後のメッセージはあの日のもの。同じフロアで仕事を
 してるから嫌でも顔を合わせたが向こうから
 話しかけてくることはなくなった


 別にこれでいい。元に戻っただけ。
 渡邉さんもわたしも。全部元通り


 そういえば1つ、変わったことといえば


 夏「小林さん!ご飯行きましょ!」

 由「あ、うん」


 夏鈴ちゃんとよく喋るようになった


 元々話してはいたけど、より話すようになった。
 なんて言うか、彼女は接しやすいタイプの人だから。
 わたしもどこか彼女に頼っていたのかもしれない



 ────────────────────────



 ひ「由依さ〜ん!今日の飲み会行きませんか!?理佐さんくるみたいですよ!」

 由「....へぇ」

 ひ「....何ですかその反応、興味無さすぎじゃないですか?」

 由「別に、いや、うん。興味はないけど.......ごめん、わたし今日用事あるからパス」

 ひ「え〜.....なんか最近の由依さんつれないですね。恋人でもできました?」

 由「そうだったらいいんだけどね〜」


 渡邉さんと関わりを絶って早1ヶ月


 渡邉さんは最近、職場の飲み会に
 よく顔を出しているらしい


 その本心はわからないけれど、新しい人でも
 探しているのだろうか


 とか。そんな思考になってしまう自分が嫌だ。
 元々わたしは恋人でもなんでもない。
 彼女はただの上司なのに


 彼女のことなんてどうでもいい。はずだった



 ────────────────────────



 〈理佐さん、今日休みだったね〜〉

 〈噂じゃ例の恋人とゆっくりするのに休んだらしいよ

 〈え〜、どこ情報なのそれ〉


 そんな噂を耳にした。たかが噂。されど噂。
 つい耳を傾けてしまう


 由「ひかるお疲れ様。わたし先帰るね」

 ひ「ん〜、あ、お疲れ様です」

 由「残業頑張ってね」


 目の下にクマを作ってパソコンと向き合う
 ひかるにチョコを渡して会社を出る


 帰り際にちらっと渡邉さんのデスクを見た
 綺麗に整えられたデスクは
 彼女が休んでいたことを物語る


 あの渡邉さんのことだ。浮かれた理由で休むわけない。
 きっと何か用事があったから、それか有給消化
 するために休んだか。そんな事を考える


 由「ケーキでも買って帰ろっかな〜」


 最近忙しかったし。自分へのご褒美に、と
 大好きなケーキ屋へと寄ってショートケーキを買った


 しかも2つ。でもいいんだ。仕事頑張ったし。
 こういうご褒美がないとやってられない


 誕生日の時に、ひかるに貰った紅茶と一緒に
 食べようかな。そう思いながら紙袋の中の箱を
 見ていると口角が緩む


 由「............あれ?」


 少し浮かれた気分で歩いていると、前に見慣れた人
 がいて。その人の隣には長い髪の美人なお姉さん


 由「わたなべ...さん...?」


 ぴたっと足が止まる。本当は見たくないのに。
 まるで接着剤で地面にくっつけられたかのように
 動けない


 隣にいる彼女はにこにこ微笑んでて。少し、背伸びを
 すると渡邉さんにキスをした


 由「っ、えっ....」


 時が止まったかのような。かしゃっと紙袋を落とす


 彼女が離れた時、渡邉さんは顔を赤くして、
 恥ずかしがっている様子で


 2人はわたしに背を向けて
 腕を組んで歩いて行ってしまう


 由「.......そっか」


 やっぱり渡邉さんには別の人がいたんだ
 

 わたしは所詮、遊ばれていたってこと。


 なんだか全て納得できて。


 最初からわかっていたのに


 由「...やだ、なにこれ...なんで...」


 絶望感と、涙が止まらない


 やっぱりわたしは浮かれていたんだ。あの人は
 自分のことを好きでいてくれるからって。
 勝手に解釈して。安心して。そのツケが回ってきたんだ


 もう、帰ろう



 ────────────────────────



 夏「.......小林さん?」

 由「っ、か、かりんちゃ....」


 落として少し形が崩れた紙袋。それを拾い上げ、
 振り返って帰ろうとすれば夏鈴ちゃんが目の前にいて


 夏「小林さん....その顔....どうしたんですか?」


 彼女はわたしの顔を見るなり険しい顔をした


 由「いやっ、えっと.....あ〜これは...そ、その...か、花粉?ほら、今日すごいじゃん?だから.....ははっ、」


 泣いていたことをバレないように何とか明るく振る舞う


 夏「小林さん、」

 由「.......あっ!そうだ夏鈴ちゃんこれあげる。わたしが好きなケーキ屋さんのケーキ...2つあるし恋人がいたら......ちょっと形崩れてるけど...おいしさは変わんないから....」


 彼女と極力目を合わせないようにして
 ぐしゃぐしゃになった紙袋を彼女に押し付ける


 由「じゃあ。お疲れ様.......っ、えっ?」


 そう言ってさっさと彼女の前から去ろうと
 横切った時、腕を掴まれてぐっと引き寄せられ、
 抱きしめられる


 相手は誰でもない、夏鈴ちゃんで


 夏「小林さん....わたしじゃだめですか?」


 耳元で囁かれた言葉にわたしは動けずにいた