昨日と同じタイトルで、追加、削除してみました。
西野さんが生前チェンマイ勤務の時加藤隼戦闘隊について
話してくれました。
尋ねないのに自ら話を持ち出すと言う事は,この話深く記憶に
残っていて離さずには居られない心境だったからでしょう。
さて具体的に話を進めましょう.
第64戦隊(隊長加藤建夫中佐)が昭和17年3月初め頃
チェンマイに駐屯しました。
この頃は戦争が始まって初期の段階で楽観ムードの時世でした。
チェンマイを訪れた彼らは、鼻息荒い性格で、我が物顔で無理
難題をふっかけ、対応した大使館員を困らせました。
この戦闘隊の隊長について蛇足ながら書き加えたい。
第二次世界大戦の前半に活躍した飛行隊で、
隊長は加藤建夫という人です。
出身は北海道旭川市東旭川町(現在旭川市と合併)です。
たまたま、高校は著者と同じ旭川東高校(当時は上川中学校)です。
西野さんは、彼について人徳があり立派な人格者として評価して
います。
二人が会って、3か月後の1942年5月には38歳にて加藤建夫氏は
戦死しています。
その後加藤建夫氏は、軍神として崇められ、日本国民の戦意
高揚のために利用されていきます。
戦中、戦後この人を中心テーマにした映画何本も出ています。