加藤隼戦闘隊を調べています、その2 | 日本(タイ)からの生活情報

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タイでの生活情報を載せて来ました。


タイに40年住んでいます。
現在、健康・病気、株式市場などに関心を持って、
作家活動しています。
関心を持っています。

昨日と同じタイトルで、追加、削除してみました。

 

西野さんが生前チェンマイ勤務の時加藤隼戦闘隊について
話してくれました。

尋ねないのに自ら話を持ち出すと言う事は,この話深く記憶に
残っていて離さずには居られない心境だったからでしょう。

 

さて具体的に話を進めましょう.

64戦隊(隊長加藤建夫中佐)が昭和173月初め頃
チェンマイに駐屯しました。

この頃は戦争が始まって初期の段階で楽観ムードの時世でした。

チェンマイを訪れた彼らは、鼻息荒い性格で、我が物顔で無理
難題をふっかけ、対応した大使館員を困らせました。

 

この戦闘隊の隊長について蛇足ながら書き加えたい。

第二次世界大戦の前半に活躍した飛行隊で、
隊長は加藤建夫という人です。

出身は北海道旭川市東旭川町(現在旭川市と合併)です。
たまたま、高校は著者と同じ旭川東高校(当時は上川中学校)です。

 

西野さんは、彼について人徳があり立派な人格者として評価して
います。

二人が会って、3か月後の19425月には38歳にて加藤建夫氏は
戦死しています。

その後加藤建夫氏は、軍神として崇められ、日本国民の戦意
高揚のために利用されていきます。

戦中、戦後この人を中心テーマにした映画何本も出ています。
 

 

加藤隼戦闘隊を調べています、その1

 

 

  いつかは、再び評価されるでしょう。