練馬政界のリーダー奥山則男先生のご逝去を悼む | 小林興起オフィシャルブログ「世直しブログ」Powered by Ameba

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 ゴールデンウィークがスタートした5月、私が大変お世話になった練馬政界のリーダー奥山則男元全国都道府県議会議長会会長、元東京都議会議長がご逝去されたという悲報が飛び込んできた。享年89才、近年は病に伏していたというが大変悲しいことであった。

 私が政界に挑戦するため通産省を退官したきっかけは、当時の中川一郎先生にスカウトされたことであった。私の生まれ育った地元の練馬区は当時の中選挙区制では東京5区(練馬区、豊島区)であり、その選挙区から立候補するという中で中川先生はまず奥山則男先生に「小林興起の面倒を見てくれ」と頼み、私にご紹介くださった。
奥山先生から「練馬生まれ、練馬育ちの青年が、練馬から代議士をの要望を担って練馬区民の期待に応えて政界に挑戦することは大変望ましい。ただ、私も自民党の政治家である以上、自民党の公認を取って堂々と応援ができる体制を整えてくれ。」と励ましの言葉をいただいた。大変心強いお言葉であった。

 その後、中川先生のご逝去に伴い公認の話は消え、悪戦苦闘する日々が続いたが奥山先生は陰になり日向になり応援の手を差し伸べて下さった。
3度目の衆議院選挑戦の際には、ようやく自民党の公認をいただき、奥山先生には事実上の後援会会長として選挙戦を取り仕切っていただき、多大なご指導をいただき練馬区から代議士をの声に乗って初当選を飾ることができた。あの頃のことが感謝の念と共に懐かしく思い起こされる。

 それからも、練馬の自民党支部長としてご指導をいただき、私があの郵政選挙で自民党を追放された時には、練馬の区議会議員に対し自民党を追放された小林興起と個人的に深い関係がある区議については黙認をするというお立場をとっていただいたことは生涯忘れられぬ御恩である。情に厚く義を重んじ練馬の政界のリーダーとして多くの区議会議員を育てられ、その一人を自分の後継者としての都議に当選させ練馬支部長としての重責を果たされると同時に、第34代都議会議長として都政に名を残す活躍をされた奥山先生の御霊に心から哀悼の意を捧げたい。

 かつての政治家は地域の人々との直接的な交流を重んじていた。奥山先生の事務所も自宅に隣接していて朝から晩まで地域の皆様が相談に訪れていた。地域住民との繋がりを深く持ち、地域の皆様の声を都政に生かすべく頑張られていた奥山先生の姿が懐かしい。