真の国際経済人「小林陽太郎」氏を偲ぶ | 小林興起オフィシャルブログ「世直しブログ」Powered by Ameba

小林興起オフィシャルブログ「世直しブログ」Powered by Ameba

小林興起オフィシャルブログ「世直しブログ」Powered by Ameba

10月29日、某ホテルで小林陽太郎氏を偲ぶ会が開かれた。
小林陽太郎さんと私の出会いは、私が通産省にまだ在籍中に陽太郎さんが主宰するビジョン研究会という勉強会に友人に誘われて参加して以来の長いお付き合いである。
陽太郎さんは44歳で富士ゼロックス株式会社の社長に就任して以来、2009年3月末に相談役最高顧問を退任するまで、実に31年以上の長きに渡り富士ゼロックスの経営トップを勤めてこられた。その間、売上も一千億から一兆円へ、社員数も7千名から4万名へと大きく成長させている。他方、経済同友会の代表幹事、日米財界人会議の日本側議長、日米欧委員会のアジア太平洋議長、新日中友好21世紀委員会の日本側座長を務めるなど、国際派経済人として財界活動や国際交流で数々の功績を残してこられた方であった。
私が印象に残っているのは経済同友会が提唱した市場主義宣言、すなわち当時の若手経済人が市場原理を重視して日本経済の活性化を訴えた時代に、その後、同友会の代表幹事になられた陽太郎さんが「市場主義宣言を超えて」というお話をされていたことである。
当時アメリカ経済の流れの中で競争原理を重視する日本の大企業経営者の中にあって、陽太郎さんは企業の社会的責任に言及し、パブリックマインド言い換えれば社会全体が正しいと認める常識ということを重視されて「市場の進化」という言葉の中に、市場そのものを経済性のみならず、社会性、人間性を含めて評価する市場へと進化させようという提言をされたのは、まさにこれこそ日本型の経営者の典型であったと評価する事ができるであろう。
今日、グローバリズム、それはアメリカニズムと言い換えてもいいが企業の収益を高める事を経営者の本質とするかのような議論の中で、正規職員・非正規職員と働く人が色分けされ、階層社会が生まれるような風潮は決して好ましいものではない。
また、小林陽太郎氏は大学卒業後、アメリカのビジネススクールの代表であるペンシルバニア大学院ウォートン・スクールで学ばれたが、奇しくも私も政府派遣留学生としてこのウォートン・スクールに学ばせていただき、アメリカの大学院の先輩、後輩の関係をもたせてもいただいたが、小林陽太郎氏はアメリカ経済界に多くの友人を持たれていたが、他方で新日中友好21世紀委員会で活躍をされ、アジアの国々に支持されてこそ日本の価値が高まる、その為にはアジアを正面に見据えた外交に変えて行こうと訴えて「再アジア化論」を唱えもした。日中の政治がギクシャクした際には民間交流の活性化を図られ「日中の戦略的互恵関係」を提案したことでも知られるほど、まさにアメリカ・ヨーロッパ・アジアに人脈を持つ国際派経済人として今日の日本が必要とする人材であり、その死を心から悼むものである。