「平成さいごの」ってフレーズをここ一ヶ月くらいでたぶん180回くらいきいたと思う




なんか流行りにのるみたいでやで、あんましわたしはいわなかったけど



これから「平成さいごの」ブログを書こうと思う





昭和63年の3月生まれのわたしは、ほんと昭和ギリギリに生まれて、赤ちゃんのときに平成に年号が変わって、ほとんど平成とともに30年間生きてきた。



↑これはたぶん、89.4.30とあるから、年号変わって4ヶ月後くらいの写真だ(すきっぱ)





いま、美智子さまの「橋をかける」って本を読んでるんだけど、



改めて、天皇皇后両陛下がたびたび使われる「心が痛みます」という言葉と「祈ります」という言葉が、なんとまあ心に染みることだろうか、、






昨日今日と、福島にある友人の実家に遊びに行ってきた。



友人のお父さんは、福島にある中学校の校長先生だった。先日、定年を迎えられて学校を卒業された。




わたしの本を読んで、「志が一緒だ」と会う前からおっしゃってくださっていて



お酒が弱いわたしでも、どれだけ飲んでも酔わないおいしすぎるお酒を飲みながら、


未来に想いを馳せて語れた時間が、本当に嬉しかった



こうして、世代を超えて想いをともにできるというのは、なんと嬉しいことなんだろう!とほんとにほんとにうれしい時間だった




「まじで最高かよ」って15回くらい連呼したくらい最高な時間だった




こどもたちの未来を真剣にかんがえ、心を込めて行動しているオトナがたくさんいるんだということを




天皇の最後のお言葉をききながら、友人の父であり、真の教育者の想いにふれながら(ちなみにお母様も学校の先生でまじで人格者の教育一家である)




とても温かい「平成さいごの」夜を過ごせたことを幸せに思う




札幌新陽高校の荒井優校長がこんなことを言ってたことがあった。




「校長の仕事はね、祈ることしかないんだよ。それが一番の、仕事なんだ」




わたしのお母さんも、たびたび「祈る」という言葉を使う。




そしてこの人たちの祈りはいつも、なにかに届くような気がしてる。






「明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。」





日本という国は、この「祈る」という言葉が本当に似合う、誇らしい国だなぁと思って泣きそうになった(酔っていたのかもしれない)






平成には、わたし自身にも、他のすべての人にもたぶん、たくさんの挫折と失望と苦難があった。



しかしそれにも勝る、なににも変えられない幸せと喜びがあった。





令和の時代も、たくさんの幸せなこどもたちがそこにいてくれますように。



そのために、わたしもできることをしっかり、やっていきたいと思った。









令和もよろしくおねがいいたしまああああーーーーす!!