おはようございます😃
2012年春
癌の診断直前の抗生物質を飲んでいた頃、患部は腫れて仕事する時も朦朧としていた時期。飛び込みで、白人男性が塾に飛び込んできました。
『雇ってくれ』
イギリス人の男性で日本の女性と結婚していた為日本で住むらしく仕事を探しておりました。
私も、身体的にも業務的にもかなり一杯になっておりましたので、人の手を借りたいと思うようになっておりました。
今なら、20万円くらいの給料は払えます。自分の給料はちょっと減って引き続き15万円程度ですがなんとか維持できます。
そして、彼を雇用。自分の身体と会社の事を考えると、人の力が必要と判断しました。
それから2年ほど経ち、2014年の大雪から半年経った夏。
競売の情報を見ていると、近所に興味深い物件がありました。
昼の仕事が徐々に安定し、日本語研修センターの寮として借りている物件ではちょうど手狭になってきておりました。
癌になったのが2012年春だったのでおよそ2年ちょっとが経過しておりました。
先生からも大丈夫だけど継続してフォローしていこうという時期になっており、癌と戦う中で性格も前向きになっていたので、更なる勝負を決めました😀
秋、3階建の築34年ほどの古いビルを購入し改装。3000万円ほどかけて仕事の拡大を目指しました。
この頃、癌の方はどんどん小さくなってきて、後腹膜の2つの癌は先生も一体の腫瘍らしきものはなんなんだろう❓
と言っておりました。
先程のイギリス人男性が塾の方をメインで見て、日本語研修センターを新しい物件に移動する事を決めて、地上3階500平方メートルほどのビルを購入🏢。
癌と診断され、自分自身の精神的にも肉体的にも追い詰められている中、たまたま飛び込んできた人がいた事と家族の協力があった事で、仕事も継続でき小さいですが仕事も個人事業から法人となり、小さく古いですが自社ビルも購入できました😀
癌にならなければ、ここまでチャレンジ出来なかったかもしれません。
癌になった事で、人の助けを必要とし前向きに生きた事が、現在2021年春まで会社として生きてこられている土台となってきたと実感しております。
人生悪い事が起きて、その中で足掻いた。
そしたら、その足掻きがその後良い事に繋がりました。
では
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