矍鑠と。 | いけず女優 こばやしあきこオフィシャルブログ

矍鑠と。

先週、大好きな祖父が他界しました。

数えで99歳。



弟の面倒をみながら苦労の連続だった十代。
戦争で南方へおくられ、乗るはずだった船が目の前で沈み生きながらえ、そののち北へおくられ、シベリアに抑留され極寒のなかを生き抜き、帰ってきてくれた祖父。


長く立命館大学の事務総長でしたが、退館ののちも嵯峨芸術大学などにつとめていました。
人柄は葬儀でわかるとよく言いますが、この歳で、読経が終ってもまだ焼香に並んでくださってるほど弔問客がきてくれはりました。

物腰穏やかで、怒られた記憶はほぼありません。とても優しくユーモラスで、センスがよく、手先が器用で、昔からなんでも作ってくれました。私が大工仕事を得意なのは、祖父の血だねとよく言われます。
いま、我が家の食器はほとんど祖父のお手製です。
贅沢をせず、帽子でも椅子でも気に入ったものを何度も何度も修理して使っていました。








私が結婚する時も、もう私の父が他界していましたので、父の代わりに玉串を供えてくれました。教会式で言うとバージンロードを一緒に歩いてくれたようなものですね。



私が中学生のころ宝塚を受けたいと言い出したときも、唯一祖父だけが賛成して「わしが試験もついていってやる、サインもしてあげるから受けておいで。」と言ってくれたものでした。







姉が成人式の時に、家族に一言ずつ書いてくれた書には、「宝塚は待っています、頑張ってください。明子どの」としたためられています。







私が南座や松竹座に出演した頃には、膝を痛めていて、劇場に行くなんて、できなかったので、いつもテレビ出演を楽しみにしてくれていた祖父。
この秋出演する、宝塚OGの五月さん率いる舞台は、大階段こそ無いものの、本当に宝塚歌劇のような演出なので、きっと今回は客席のどこかに来て、いつものOKサインを手でしてくれながら観てくれるんやないかと思っています。ずっと宝塚待ったはったから。

矍鑠、実直という言葉があんなに似合う人を、わたしは他に知りません。

本当に、最後まで惚けることなく、しっかりと生き抜いていかはりました。
胃腸が丈夫で、お肉と日本酒が大好物、晩年はほとんどそれしか口にしませんでした。





このお正月に会いに行き、一緒にお酒を呑んだときも、少しフラッとして家族が心配したのを「お正月に迷惑をかけて申し訳なかった」と、とても気にしていました。
「みんなに迷惑をかけるから、早く迎えがきてくれへんかな」が近年の口癖。

それでも、私たちが頑張ろ頑張ってと頼むから、本当に最後の最後まで気張ってくれはったと思います。

誰にも迷惑をかけず、本当に人のために生きてきはった、立派な人でした。

林義男の孫であることを、誇りに思います。

おぢぃちゃん、長い間頑張ってくれて、ほんまにほんまにありがとう。

どうか、もうゆっくりしてください。
そして、これからもどうか見守っていてね。

ゲゲゲのおじいさま♪http://s.ameblo.jp/kobayashi-akiko/entry-10654453223.html