塩屋マインド | いけず女優 こばやしあきこオフィシャルブログ

塩屋マインド

昨日、舞台が千秋楽をむかえ、いよいよこの事に向き合わなければいけない時がきました。

私に演技を教えてくれた大恩師、塩屋俊監督が、大阪公演中の6月5日に急逝されました。56歳、まだまだ監督としても役者としてもこれからさらに、という時に。
http://www.next-nevula.co.jp/news-headline/?p=11085

私は大学を卒業して、NHK 京都放送局にはいり、でも全く女優の夢を諦めておらず朝ドラのディレクターさんに「どうやったら女優になれますか」と相談したところ、「今から劇団入っても、30になるまでに台詞有るか無いかかもしれないな。朝ドラのヒロインの演技指導の先生が、東京でもう10年アクターズスクールしてて、今度大阪でも開校するらしいから、入るのにオーディションはあるけどうけてみたら」と教えてもらったのが、塩屋俊アクターズクリニックでした。

なんとかオーディションには合格したものの、運営はMBS。NHK に籍のあるものが、通って良いものか迷い、京都局の局長に相談したところ、なんと当時の山本局長は、おしんや春日局、大地の子などをつくった、NHK ドラマの大プロデューサーやったことが判明。「お前女優になりたいんか!?あれは身を削る仕事やぞ。でもまあ、塩屋なら、俺がおしんの時に使ってデビューしたみたいなもんで、よく知ってるよ。あいつのところなら行っても良いけど、仕事に支障だけはないように。」と許可をいただき、月曜から金曜日はアナウンサーの生放送、土曜日はレッスンという日々を二年間過ごすことになりました。

東京校では、基礎コースなどは塩屋監督ではなく、ほかのインストラクターが教えて、ファイルレッスンのみ塩屋さんの授業ですが、大阪の一期生だけは、実験的になのか、基礎から何から全て塩屋さんが二年間みっちり教えてくださいました。
スクールを卒業するとき、「君には全部教えた。あとは運だね。それにあっこちゃんは、根性もあるからいけるかもしれない。君にあと必要なのは、マネージャーというベストパートナーだけだよ。幸運を祈ってる!」と声をかけてもらったのを今もよく覚えています。

東京に出てきてからも、東京校に顔をだし、たまにレッスンにいれてもらったり、また監督の映画「種まく旅人みのりの茶」にも、出演させてもらいました。

震災直後の福島にも一緒にいきました。相馬の野馬追いを復活させる前夜祭の司会をたのまれて、何か役にたてるなら!と飛んでいきました。

その震災の相馬を描いた作品、舞台「HIKOBAE」の公演最終日に、仙台で倒れられ、帰らぬ人になりました。

私の後援会の会長をご紹介くださったのも、監督でした。そのお礼を言いに、春に監督に会ったとき、「今年はまた映画も2本撮るし他にもプロジェクトが色々あって、大忙しなんだよ!
でも、久々に大阪一期生たちに会いたいな、夏ごろ大阪で集まらない?」
と言うたはったので、本当に集まろうと思っていました。

そして、私が最初に演技を学んだ大阪での初舞台をふみ、同期が見に来てくれて「この夏塩屋さんが集まりたいって言うたはったよ!」と話していたその夜に、信じられない連絡がきたのです。
HIKOBAEのモデルにならはった相馬市長にすぐ電話しました。お医者様でもある市長は、その日ずっと監督とご一緒だったらしく、説明してくださいました。

それで、あぁ、本当のことなんだほんまなんや。と少し現実なんだとのみこみ、涙がとまりませんでした。

翌日から、二日間だけ東京校に亡骸が安置され、同期が駆けつけていましたが、もちろん私は大阪で公演中ですから、東京校にもお葬式にもうかがえませんでした。
でも、本当に亡くなってしまったなら、きっと塩屋さんはどこかで見ていてくれる、教え子として恥ずかしくない芝居をしなければ。監督が、やったなあっこちゃん!と言うてくれるような芝居をしなければ。それが何よりいま監督に私が出来ることや。そう毎日言い聞かせて劇場通っていました。

大阪公演がおわり、一旦東京へ戻ってきたときに、まだお写真だけ東京校に飾ってあるときき、ご挨拶にいきました。





監督、なにやってるんですか!いき急ぎすぎです!
そう思いながら泣き崩れました。
もっともっと、いろんなことを教えてもらいたかった、もっとお仕事ご一緒したかった。そして、監督がギャフンといわはるほどの芝居をしたかった。
供えさせていただいた花には、こう書きました。

「安らかに、でもいつまでも私たちを見守っていてください。塩屋マインドを胸に、これからも気張ります」

監督、大奥大一章はみてもらえましたか?
あの頃からすれば、少しは女優になってきたでしょうか。

まだ、監督がもういないだなんて、やっぱりどこかで信じきれませんが、もしそれが本当だとしても、塩屋監督は、塩屋マインドは、私たち教え子のなかで生き続けます。

監督、確かに集まりたいって言うたはったけど、こんな形になるなんて。あんまりですよ。
でも、みんなきますからね。監督ちゃんときてくださいよ。
8月5日、監督のお誕生日、偲ぶ会にいってきます。