毘沙門堂 つづき♪
知る人ぞ知る、山科の毘沙門堂門跡は、京都七福神のひとつでもある、天台宗の古刹です。
ここは桜が有名で、藤原定家の「名月記」にもその名が残っています。
2000年春の そうだ京都、行こう。では、このコピーとともに紹介されました。
“「がんばれ」「元気出せ」なんていうよりも・・・ いま、励ましを必要とするひとがいたら、私なら、ここに連れてきてあげたい、と思います。”
はじめは洛北にあり、所在地も転々としました。
寺伝によれば、毘沙門堂の前身の出雲寺は文武天皇の勅願により、大宝3年(703年)行基さんが開かはったとか。その後、平安時代末期には出雲寺は荒廃していましたが、鎌倉時代初期、平親範が平家ゆかりの3つの寺院を合併する形で再興。中世末期には再び荒廃し、応仁の乱で焼失し、近世に至り、天海とその弟子の公海によって現在地に移転・復興され、天台宗京都五門跡の一として再び栄えました。
天台宗の僧で徳川家康とも関係の深かった天海によって復興が開始されたため、江戸幕府は山科の安祥寺(9世紀創建の真言宗寺院)の寺領の一部を出雲寺に与え、天海没後はその弟子の公海が引き継ぎ、寛文5年(1665年)に完成しました。後西天皇皇子の公弁法親王(1669 - 1716)は当寺で受戒し、晩年には当寺に隠棲したはります。以後、“門跡寺院”(皇族・貴族が住持を務める格式の高い寺院の称)となり、「毘沙門堂門跡」と称されるようになりました。
このお寺は、勧修寺さんに行ったついでに寄ってみましたが、本当に大当たり!
また、「写真撮影可」というところがすごい。国宝級のものがたくさんあるのに、うるさく言われません。間近で襖絵を見ることができるのは魅力♪
御所にあった後西天皇の旧殿を拝領した、宸殿。
内部にある襖絵は116面は、すべて狩野探幽の養子 狩野益信の作。
逆遠近法の手法で、老人が動いて見えたり、建物の向きが
変わったりします。まさに和風のトリックアートなんて、めっちゃ斬新♪
しかも枚数もいっぱいあり、お寺の方が随時説明してくれはりますから、詳しく楽しめます。
天皇さんに面会待ちのお客様が楽しめるように、冬には人物などの顔の向きが変わるお部屋へ。夏には雪がとけてなくなるお部屋へお通しして、涼しい風景を楽しいんでもらったはったとか。
これだけでも十分惹かれますが、他にも興味深い客間が。「会わずの間」と呼ばれるお部屋。「面会してもらえない客が通される部屋」というのがあるんです。
どうして、通された部屋で会えへんてわかるのか、襖絵をよ~う見てください。
梅に鶯、竹には雀が一般的ですが、この梅には鷹が、竹林にもなんだか大きな鳥が描かれています。
つまり「合わない」=「会わない」と暗に告げられているのです。
ここに通されはった人は、「あぁ今日はあかんのやな、、、また改めさせてもらいます。」と出なおされたとか。昔の京都は、“ぶぶ漬け”どころやなかったんですね(笑)
雲龍図は霊殿の守護龍さん。目の向きや顔が見る角度によって変化します。
こちらは狩野永叔主信さんが描いた物。
ご本尊の毘沙門天さんは。比叡山を開かはった伝教大師のご自作で、延暦寺根本中堂のご本尊・薬師如来さんの余材をもって刻まれたと伝えられています。
本堂は、黄檗山万福寺さんと同じく、どこかちょっと中国の影響が色濃くでています。
お庭もとても綺麗です。紅葉や桜の季節は、弁天堂の朱が紅葉にとけこみ深紅にそまるんやそうです。
ここの寺にある「夢」と書かれた衝立にすごく惹かれて写メしていたら、B'zの2人もここで写真を撮ったはったと教えてもらいました。へぇ!きはったんや。
JRの山科駅からわりと近いのですが、細い道しかないのでバスは通れません。
ほんまに落ち着いた雰囲気の中楽しませてもらいました。大満足!!!
深紅の季節と琴の音を聞きながらお花を愛でる来春の観桜祭に、ぜひまた伺いたいと思いつつ、勅使門の石段をあとにました。