小早川秀秋、、、わしのプロフィールじゃ

豊臣秀吉の養子になり、幼少より、寧々叔母さんに育てられたでござる。官位も従三位・中納言になり秀吉叔父さんの後継者になるはずだったのだが、、、文禄2年に秀吉に実子・豊臣秀頼が生まれたことにより、秀吉叔父さんの部下の小早川隆景の養子に出されてしまう。小早川隆景の養子となり小早川秀俊と名乗る。小早川隆景の死後、小早川秀秋に改名。


神奈川県の藤沢駅より江ノ電に乗って🚃🚃

鎌倉へ、、、、34分の旅じゃ、、、


鎌倉駅から目指すは、、、銭洗弁天じゃ!

銭洗弁天の正しい名称は知っておるかの?

銭洗弁財天宇賀福神社(ぜにあらいべんざいてんうがふくじんじゃ)と言うんじゃ。


鳥居⛩を潜り洞窟を通り抜け、境内にある清水でお札や硬貨などを洗うと増える!

と伝えられていることから、銭洗弁財天(銭洗弁天)と呼ばれているんじゃよ。


源頼朝公がこの地に幕府を開いてからも、長きにわたる戦乱で、民たちの生活は苦しくてのー

そんなときに源頼朝公の夢に神様が現れたのじゃ

その神様のお告げに従い、佐助ヶ谷の岩壁に湧く霊水を見つけ、そこに社を建てたのが始まりと言われておるのじゃ。

また、この社を建てからは徐々に民百姓の生活も、安定し豊かになったそうなんじゃ!

小早川も銭を洗って来るから、待っていてくだされ!


お参りもしたので帰りには、茶屋スタバによって一服して帰るとしようかのー


では、また!