昭和32年に出来た劇団・東宝現代劇も先程名簿を見たらもう30人しか居なくなっている。100名以上居たのにと唖然としてしまう。

時の流れとはいえ寂しいもんである。

菊田一夫先生の教えを受け育てられた我々の活躍の場も少なくなりつつある。

だいたい毎年、菊田一夫演劇賞の受賞式があるが1番縁のある劇団・東宝現代劇にはもう全く関係なくなってしまった。

本当に時の流れとはいえ残念で仕方がない。だからあえて書くが。

菊田一夫賞はまあ私の場合は団体で受賞しているし、後は団体ではスポニチ文化芸術大賞優秀賞(2008年)とか関西の松尾芸能賞(平成9年)を受賞。
個人的にも何人もの劇団員は菊田一夫賞を受賞している。

私の場合は菊田一夫先生からの演技賞は、まだ公的な菊田一夫賞のない頃の冒頭のプログラムにある昭和39年芸術座3ヶ月公演の「濹東綺譚」第19回芸術祭主催公演。で、菊田一夫先生自ら選んで先生の手から、中村吉右衛門。赤岡都に並んで個人的に演技賞と金一封を頂いた。その後昭和47年3月4月に再演している。

先生直から頂いたのが嬉しかった。あの頃は賞を
頂くと次の契約からギャラが2倍になった。そうしてやる気がおきる。

その他には3回も再演した「櫂」昭和49年の時には平岩弓枝賞を、昭和46年には「祇園のぼん」で花登筺賞。「美空ひばり特別公演」昭和41年11月には、明治座賞受賞。と自分の事をいやらしいくらい書いたが、正直役者の生き甲斐のひとつでもあったのだ。

しかし50年以上日比谷ブロードウェイを賑わせた東宝現代劇もとうとうなりをひそめてしまった。又言うが、時の流れというものか。

世間の人々には忘れかけた劇団・東宝現代劇の劇団史を書きたいけどもう私には、そのエネルギーがない。

詳しい人も居なくなってしまった。

いや、そう言えば以前、東京大学 の修士学位論文を書いた作家の有賀 沙織さんが詳しいではないか。「菊田一夫と東宝現代劇~日比谷芸術座における演劇興業システムの形成」を書いた。ぼうだいな大判119ページにわたる論文である。

私も資料を提供したが時間をかけて調べぬき、何といっても東宝現代劇に愛情をもってかかれていた。
そうして読んで面白かった。

あっという間に人生は過ぎてゆく。