正月2日蜷川幸雄さんの演出ぶりをテレビのドキュメントで見る。私は蜷川さんの作品には一本しか出てないから多くは語れないが、あの演出ぶりの迫力はすざましい。

 私はたった1本だが帝劇に於ける、「近松心中物語」初演。昭和54年2月2日初日~3月8日千秋楽。に出演している。

   主演は、平 幹二朗。太地 喜和子。共演 市原 悦子。金田 龍之介。山岡 久乃。

  この時に平さんが途中で倒れて、それまで端役だった本田 博太郎君が急遽代役を努めた。

  東宝での蜷川さんの演出は兎に角灰皿が飛んでくるすざましいものだと聞いていたから覚悟はして稽古にのぞんだ。私の役は取引先の番頭で金を取りに来る、そんな役どころだった。セリフも少しあって、稽古初日には完全に憶えて向った。
 
   ところが毎日一ケ月近く稽古を続けているのに、怒鳴ったのは2回だけだったのである。
  蜷川さんは時代劇は初めてなので、とりあえず皆さん好きなように演じて下さいといわれたが、灰皿も飛んで来ないのはこの近松の初演ぐらいではないのか。しかも若い人達は皆アルバイトをしているので蜷川さんは5時になると稽古を終わらせて、さあアルバイトにいけよ!とうながしていた。


   今日のテレビでのドキュメントで演出している姿を写していたが、車椅子で鼻に管を付けていながら凄い迫力で怒鳴りまくっていた。80歳でもある、凄いと思った。

   どの演出家もそうだが手を抜いたり新劇ぽい芝居をする役者は嫌いである。蜷川は特にそうだった。

  しかし蜷川さんは普段は静かで優しい感じなのだ。舞台があいて毎日楽屋を回りながら駄目出しをするのだか、挨拶が優しい。しかし中には反感を持った役者もいて無視している人もいた、

  看板俳優の人の中には舞台稽古中に蜷川さんに怒鳴り返す人もいた。中野良子なんかは面と向かっても挨拶を返さなかった。

  蜷川さんは以前役者もやっていてテレビなんかでも結構いい役をやっていたが、役者としては下手だった。自分でもおっしゃっている。


  「近松心中物語  」再演の時に山岡久乃の旦那の役である傘屋長兵衛の役の依頼が蜷川さんから東宝の名プロデューサーであった中根公夫さんを通して来た。しかし残念ながら他の作品が決まっていて出られなかった。あの頃は東宝の舞台は忙しくて休みがなかった。3本位重なって仕事の依頼がくる時もあった。50年位は東宝の商業演劇は盛んだった。菊田一夫先生のお陰である。

   演出家蜷川幸雄さんは80歳になっても車椅子で、鼻に管を通しながらも、演劇に向っているあのすざましい情熱には尊敬せざるを得ない。