2月もようやく後半。

 

まだ今でも自分に対し迫る金の亡者は数知れず。

今でもそこそこの高給取りな部類なはずなのに,どうしてこんなに群がってくるのだろうか。

 

今では電通事件の影響で,しっかり犯罪者として名を連ねるに値するようになった殺人企業の殺人社長然り,自分から何もかもを奪おうとする亡者どもは尽きない。

 

あともう少しのはずなのに,尽きない。

 

これが終わる頃には,自分はどうなっているのだろうか。

 

魔法使いになっているだろうか。

その時には同時にお星様になるから,知りようもない,か。

 

 

優しい人,なんて言葉はもはや形骸のようなもので。

むしろそこにカテゴライズされる人はただの都合のいい人なわけで。

 

結局

「顔と金」

この2つ以外は基準として不要なわけで。

 

どんなに自分が暗くなっても落ち込んでもふさぎ込んで病んだとしても,

そこに手を差し伸べる人は少なからずいる(自分はいないが)

 

 

その時,その手をどうするだろうか

手を掴むだろうか

それとも,払うだろうか

 

他にもいるから,貴方はいいです

 

そう言わずとも拒否したことはあるだろう

自分は断られる側に何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も立っている。

 

自分のことはさておき,人のことを助けようとする,ただのお人好しだから,都合よく体良く利用されるわけで,あまりよくないことなのだが,見ぬふりをした時に良心の呵責とやらに襲われてしまうのも事実。

 

だからつい気にかけてしまうのだが,やはり誰にとっても自分は迷惑なようだ。

 

「適切な距離感」というが,自分にとってのそれは,もはや「蚊帳の外」が適切だった。

他人と交わらず,必要最低限のみに留め,あとは自らの殻に閉じこもる。

 

それが,一般論で言う,「適切な距離感」なのだと,経験して感じた。

 

 

…………………………

 

 

生きてる意味,あるのか?

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで,お星様になるのは,免れようもない。

それが明日になるか,ちゃんと魔法使いになるまで持つのかは不明。

 

ネガティブにはなってない

悲観もしていない

 

それが経験に基づく事実なのだから,受け入れにくいが,享受しなければならない。

それが定めであり,揺るぎなき結論。

 

 

しかしながら,今までどこにいても,自分がいなくなった場所は,自分の必要性を改めて感じる場所が多いと聞く。

ざまぁ見ろと思う反面,だったら最初からとも思う。

 

表面的な部分でしか見ることのできていないばかたれが多い世の中だから,この世界は自分とマッチングしないんだと思う。

 

まずは人生のリセット。魔法使いになってお星様になって,新たな何かを始めるのは,悪いことではないだろう。

少なくとも,この世界に生を受けている限り,自分がいいようにあしらわれる結末は変わらない。

 

手を払ったやつは

ことごとく

極限まで

苦しめばいい。

今日も少し,変化のある1日だった。
 
ある意味自分で変化をつけただけなのだが,それでも満足。
たまには人の役に立たないと,自分が生きている意味を見失う。
 
とあるアンパンの歌みたいなもの。
 
なんのために生まれて
何をして喜ぶ
 
分からないまま終わる
そんなのは い〜やだ!
 
少なくとも,あと4年もない人生だが,少しでもマシだった瞬間,自分が必要とされていた時間を自力ででも生み出したことは,最期に振り返る時に,良い思い出の一つとしてカウントされる…のかな。
 
 
よく,トライアンドエラーという言葉を聞く。
要するに,失敗を繰り返すことで成功に近づくというものだ。
 
しかしながら,自分には一切そうは聞こえない。
何をどう学習しようとも,根本的な部分において改善が見込めない以上,トライとエラーの回数はイコールのままだ。
 
つまり,ただの自殺行為だということだ。
 
 
スタートラインどころか,競技のスタジアムの入口の警備員にすら止められてしまうレベルなのに,何をトライすれば良いのだろうか。
すればするほど,死期が近づくというのに,これでは,自ら寿命を縮めるために精一杯努力しているとしか思えない。
 
せめて,魔法使いになったタイミングでお星様になる夢は叶えたい。
 
もう,失敗は許されない。
しかしながら,失敗以外の結果は望むべくもない。
 
つまり,どうするのが最善なのか?
 
 
 
分かりきったこと。
 
何もせず,その時を待つこと,だ。
この2日間、休みだったが、少し動きのある時間を過ごしたように思う。

それでも、自分の周りは誰もいないことに変わりはないのだが。

誰に気を使うこともなく、朝から晩まで定点から動かず、画面の中では冒険の旅。
PCにはそれのための記録や情報サイトが埋め尽くされ、調査に次ぐ調査。リストを作成し、作品内でのキャリアプランが練られ、最短効率でプラチナを目指すスケジュールが組まれている。

自分がこだわりを持つ特定の分野だけは完璧主義を発動するが、他人にとやかく言うことは絶対にない。

自分が言われたらどう思うか。
恐らく小学生辺りが学ぶであろう当たり前のことを実践しているつもり。

そんなことも出来ないくせに共同生活なんて何を言ってるのか。とも思える。


自分にその計画が?いや、少なくとも、その兆候すら、自分が死ぬその時までも、その先にも、ないことは誰の目にも明らか。

何か出来ないことがあるからだろうか。
やはり、自分が命のリスクを伴うのだとしても、酒を飲むべきか。または、犯罪に手を染めるべきか。
その程度でリカバリーできる人生なら、今頃アル中患者なんてもっとたくさんいると思うのだが、なぜそこまで話題にならないのだろうか。


恐らく違うだろう。
理由は単純明快。
自分だから。
全人類がNを付ける存在だから。

卑屈になってるつもりも、ネガティブに捉えているつもりもない。
これまでの経験、学んだ内容、世間一般の情報、常識とされるパターンなどなど、ありとあらゆる情報をまとめた結果、根本的な部分において、前提条件のエリアから、議論の対象にならないということが判明した。


たらればを想定したところで何の役にも立たない。
一時の心の乱れは、腐った煩悩に依るもの。
全て破壊し、煩悩を断ち切り、人類の枠を飛び越えねば。

老い先短いあと4年。
魔法使いになりつつ、お星様になる。

煩悩を捨て去り、新たな悟り、新たな境地に達せし時、魔導師の扉は開かれん。


我が身、未来永劫、孤独の中を彷徨いしものなり。